全盲のIBM女性フェロー、科学未来館館長として発信

日経xwoman

2021/7/15
4月に日本科学未来館の新館長に就任した浅川智恵子さん
4月に日本科学未来館の新館長に就任した浅川智恵子さん
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2021年4月、日本科学未来館(Miraikan)の新館長に浅川智恵子さんが就任しました。2001年の開館当初より、館長を務めてきた毛利衛さんに次ぎ、2人目の館長となりました。浅川さんは中学2年生のとき、事故により失明。障がい者の選べる職業が今より少ない中で出合ったのがプログラミングでした。浅川さんが技術者として今まで歩んできたキャリアや新館長になった意気込みを聞きました。

新館長への打診は突然 「とんでもない大役に戸惑う」

編集部(以下、――) 2021年4月から日本科学未来館の新館長に就任する打診がきたときは率直にどのような感想を持ちましたか。

浅川智恵子さん(以下、浅川) 20年間にわたり館長を務めていた毛利衛さんの後任ということで、大変な責任を感じました。

―― どのような経緯で館長に任命されたのでしょうか。

浅川 科学技術振興機構(JST)の浜口道成理事長からお誘いいただいたのがきっかけです。とんでもない大役なので生半可な気持ちで受けてはいけないと思いましたし、私は日本IBMの研究員として米国を拠点にしていたこともあり、すぐに返事はできませんでしたね。

しかし、「日本の遅れているダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂)を浅川さんの経験を生かして推進してほしい」という浜口理事長の言葉に自分が館長を務める意義を感じ、「ぜひやらせていただきたい」と受けることに決めました。

―― 日本IBMでの研究と日本科学未来館・館長の両立に不安はありましたか。

浅川 なかったと言えばうそになります。実際、仕事の量も一気に増えてとても忙しくなりました。それに、米国から帰国するという生活の変化に対しても不安な気持ちはあります。

しかし私は一度選んだ道はやり切ると決めているので、この選択に後悔はありません。「困難でも諦めずに立ち向かう」という思いは、自分の中に強い信念として持っているんです。

「私にしかできない仕事」を探す 技術者の道へ

―― 「困難でも諦めない」という思いはどのような原体験から生まれたのでしょうか。

浅川 小学校高学年のときにプールで目をケガして徐々に視力が落ち、中学2年生のとき完全に失明しました。当時の私は体育会系。本気で水泳のオリンピック選手を目指していたため、「この先、どういう人生を進めばいいんだろう」と悩みましたし、これまでできていたのにできなくなったことがたくさんありました。でも、オリンピックを目指していたこともあり、私は負けず嫌いな性格なんです。この先の未来は、諦めたくないと思いました。

高校は盲学校へ進学。目が見えない中で生活ができるようさまざまなトレーニングを受けました。「目が見えないからといって夢を諦めず、自分にしか就けない仕事をしたい」と強く思いました。

―― なぜ、技術者の道を歩むことになったのでしょうか。

浅川 高校卒業後の進路で最初に選んだのは、実は語学の道なんです。目が見えなくても言葉の壁は越えられるだろうと。大学では英文科に進み、翻訳家を志しました。しかし、一つの会議を翻訳するには莫大な紙の資料から情報収集しなければならないと知り、自分には難しいと判断しました。

再び進路を模索していたところ、テレビで「目が見えなくてもエンジニアになれる」というニュースを耳にしたんです。当時、国内で2つだけ視覚障がい者も学べるプログラミングの専門学校がありました。職種としても可能性を感じ、テレビで紹介されていた専門学校に進学することにしました。

―― もともと情報技術やプログラミングに興味があったわけではないんですね。

浅川 文系なので、むしろ苦手分野でした。最初は授業についていけず、「選択を間違えたかもしれない」と思ったことも(笑)。でも一度決めたことは絶対に諦めたくない。必死に勉強し、卒業後は日本IBMの東京基礎研究所で学生研究員に。与えられた課題に取り組み、正式に日本IBMで採用されました。以後35年以上、同じ会社に勤務しています。

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