2021/6/13
メキシコでは、ビートルが世代をつなぐ役割を果たしていると、ツアー会社を経営するニコラス・カイレンス氏は言う。「ビートルで父親から運転を教えられた息子が、次は同じビートルで自分の息子に運転を教えるという家族もいます」(PHOTOGRAPH BY ROGER CRACKNELL, ALAMY STOCK PHOTO)

「この自動車は非常に頑丈で長持ちします。空冷エンジンなので、冷却水は一切必要ありません。いつまでも走り続けられます」と、ヒオット氏は言う。

カイレンス氏も、「10年以上ビートルを修理しながら乗っていますが、一度もレッカー車を呼んだことはありません。芝刈り機を少し複雑にしたくらいの構造だから、修理するのに専門的な知識もいりません。町から離れた土地に住んでいても扱いやすい、信頼できる車なんです」と話す。

ビートルが初めてメキシコへやってきたのは、1954年のこと。展示用として、メキシコ湾に面したベラクルスの港へ到着した。するとあっという間に人気に火が付き、1964年には、プエブラにドイツ国外で最大のフォルクスワーゲン製造工場が建設されるまでになった。1973年には、メキシコで販売された自動車のうち3分の1をビートルが占めていた。

やがて安全基準が厳しくなり、日本車に市場シェアを奪われ、1978年にドイツ本国での製造が終了した後も、プエブラ工場は25年にわたって旧型のビートルを作り続けた。それが2003年に終了した後も、工場では第2世代、第3世代のビートルが製造された。そして2019年、マリアッチバンドの演奏とともに最後の新車を組立ラインから送り出した後、ついにビートルの製造に幕が下ろされた。その頃には、タクシーとして活躍していた第1世代のヴォチョは、ほとんどが廃車になっていた。

「メキシコの歴史の象徴」

だが、これまでの歴史からわかるように、メキシコでヴォチョ文化が終焉(しゅうえん)を告げるのは、まだ先のことになりそうだ。「地方の町ではまだタクシーとして使われていますし、農場では農耕馬のように働いています」と、カイレンス氏。「人々は突然気づくんです。自分の家のガレージに眠っているのは、メキシコの歴史の象徴ではないかと。そしてさらにたくさんの人が、それを修理して使えるようにする。このようにして、多くの古いビートルが復活しています」

マクレガー氏は、車の未来は電気自動車にあると考えている。そこで、1954年のビートルを完全な電気自動車に改造した。「中身は完全に変わってしまいましたが、外から見ただけではわかりません。ところが、運転してみると音が全くしないのです。通りかかった人は、びっくりしますよ」

人を笑顔にするのは、そのデザインだけではない。ヒオット氏は次のように話す。「ビートルは100年近くもの間、人々の生活に密接に関わってきました。路上を走るビートルは、まるでタイムカプセルのようです。その光景は人々の記憶を呼び覚まし、このような機会でもなければ語られることのなかった物語が語られる。だからこそ、こうしたモノには存在価値があるのです」

(文 NORIE QUINTOS、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2021年5月5日付の記事を再構成]

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