日経ナショナル ジオグラフィック社

酸素があるだけでは不十分

酸素を患者に確実に提供するには、医療機関が酸素を手に入れるだけでは不十分だ。現場では、酸素濃縮器の使用と管理の専門知識を持つスタッフが欠かせない。ホークス氏によれば、こうしたスタッフがいなければ、酸素濃縮器は半年から1年で使用できなくなることがあるという。また、酸素ボンベの在庫を確保し、ボンベを再発注するタイミングをスタッフが把握するためには、しっかりとした供給管理システムの整備も重要になる。

スタッフが低酸素血症を診断できる能力も必要だ。低酸素血症は、息切れするほど患者の状態が悪化するまで症状がわかりにくいので、初期段階では発見が難しいとされている。

そこで、パルスオキシメーターの出番となる。1970年代に発明されたこの小型の電子機器は、患者の指に固定して血中酸素飽和度を測定するもので、米国の病院では1980年代末に標準的に使われるようになった。

「医療の窓口にパルスオキシメーターがあることが重要です」とラマトラペン氏は言う。

だが、ラマトラペン氏の話では、CHAIが活動する国々の医療機関の9割では、パルスオキシメーターが導入されていない。多くの場合、この機器が血圧計や体温計ほど重要視されていないという単純な理由からだ。

これは、死因を報告する方法にも原因があるという。登山家などの数少ないケースを除けば、死因として低酸素血症が報告されることはめったになく、死亡診断書には、肺炎、マラリア、心血管疾患などの病気そのものが記載されることが多い。そのため、低酸素血症で多くの命が失われていることを医療従事者でさえ認識していないことがあると、ラマトラペン氏は話す。

「毎年、酸素不足のために、大人や子どもが亡くなっています。今こそ酸素に注目すべきです」

重要なのに軽視されている酸素

酸素格差を解消するには、国際社会から多大な投資が必要だ。だが、デューク氏によれば、国際社会では新たな薬剤やワクチンが優先される傾向があり、いままで酸素に関する資金調達の動きは鈍かったという。

「酸素は重要な医薬品ですが、軽視されてきました」とデューク氏は言う。「不可欠ですが、昔からある医薬品です。だから、一般に酸素の優先順位は低かったのです」

しかし、新型コロナのパンデミックによって、医療用酸素がどれほど命を救えるかが浮き彫りになっている現在、従来の優先順位が変化する兆しも生まれている。

昨秋、NGOが連携して、「COVID-19酸素需要トラッカー」を立ち上げた。この追跡調査では、低中所得国で不足している日々の酸素量を資金提供団体がリアルタイムで確認できる。その衝撃的な結果を受けて、2月にはWHOが「COVID-19酸素緊急タスクフォース」を発足させ、低中所得国の酸素不足への緊急資金援助として9000万ドル(約98億円)の確保を、さらに来年のために16億ドル(約1750億円)の資金援助を目標に掲げた。

このタスクフォースを率いる国際保健機関、ユニットエイドのプログラム・ディレクターであるロバート・マティル氏は、資金提供団体の間で酸素需要に対する認識の浸透が遅いことを認めている。

「インドの危機が起きる前に警鐘を鳴らしたはずだったのですが」とマティル氏は言う。「こんな事態に至る前に、各国政府は酸素不足がどれほど深刻な問題なのかを認識すべきでした」

デューク氏は、インドよりも脆弱で新型コロナの急拡大に見舞われる恐れがある国を救うには対処が遅すぎることを懸念している。だが一方で、パンデミックにより、最新の技術だけでなく優れた酸素供給システムにも投資する重要性が新たに認識されることを期待している。

「数年前に手を打っておけば良かったのです。でも、まだ間に合います」

(文 AMY MCKEEVER、訳 稲永浩子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2021年5月8日付の記事を再構成]