水泳・入江陵介選手 すごいプレッシャーの中で戦う力
五輪メダリストに聞く(上)
今年4月に開催された競泳日本選手権で、背泳ぎ100m、200mともに派遣標準記録を上回って圧勝し、東京五輪代表の切符をつかんだ入江陵介選手。100mは8連覇、200mは14度目の優勝という偉業を果たし、北島康介氏や松田丈志氏と並ぶ、4大会連続の五輪代表選出となった。背泳ぎの第一人者としてトップを走り続けてきた入江選手に、コロナ禍ではどんなマインドでトレーニングを積んできたのかを聞いた。
――新型コロナウイルスで五輪が延期になり、この1年、どんな気持ちで過ごされてきたのでしょうか。
五輪延期が発表されたのが昨年3月。当然ながら僕たち選手は東京五輪を目指して練習を積んできました。代表を決める4月の競泳日本選手権の直前に延期の知らせを聞き、行き場のない思いに包まれました。厳しい練習を積んで、選考会に向けて体もピークに仕上げてきたし、30歳(当時)の僕にとっても、4度目の五輪は集大成になると思っていましたので。
延期を受け入れてスイッチを切り替えることは簡単ではありませんでした。でも、海外選手のSNSを見ていると、街全体がロックダウンされて全く練習ができないという、日本よりも厳しい状況でした。準備できていない外国人選手が数多くいることを知り、そんな中で五輪を開催しても意味がないと思えたときに、やっと延期を受け入れられた感じです。
――コロナ下でのトレーニング環境は?
今までにない環境でした。やる気のスイッチが入る海外合宿はもちろんできないし、人数や時間に制限を設けた国内の同じプールで練習し続けることに、正直、モチベーションが上がらない日もありました。「五輪を中止した方がいい」という世論を耳にする中で、「本来のスポーツの価値とは何なのか」「僕たちアスリートは何を目指しているのか」と自問自答する時間も多くなったり、練習だけに集中しきれない時もあったように思います。
先が見えない「不確かな状況」で大切にしたこととは
――モチベーションが上がらないとき、集中しきれないとき、どんなふうに考えて乗り越えてきたのでしょうか。
「五輪に向けてやらなきゃ! 頑張らなきゃ!」と気負わず、自分を追い込みすぎないようにしました。まずは目の前の練習をおろそかにせず、課題をクリアし、1日1日を大切に丁寧に過ごそうと。もちろんコロナに感染せず、人に迷惑を掛けないことにも注意を払いました。
――モチベーションが下がらないように練習で工夫した点は?
逆に、あまり大きく練習内容を変えないようにしました。こんなときだからこそ、環境に振り回されず、自然体にマイペースで練習することが一番大事だと思い、特別な練習をしなかったように思います。どちらかといえば、ただただ耐え忍ぶというか、日常に戻るのを待つというイメージです。
この先どうなるか分からない不確かな状況で大切にしたのは、小さな目標を立てて達成していくこと。例えば、泳ぐときの体の動かし方は非常に重要です。右手がうまく使えていないと思ったら、トレーナーさんと相談し、その部分を重点的に強化して課題を克服していきました。
五輪選考会は独特の雰囲気とすさまじいプレッシャー
――国内では敵なしですが、それでも五輪選考会は緊張しましたか?
もちろん緊張しましたね。五輪選考会は独特の雰囲気が漂います。日本は世界で戦える選手しか連れていかないので、タイムと順位の設定が厳しい。過去の実績は関係なく、決勝の一発勝負で代表を決めるので、ミスできないすさまじいプレッシャーは、どの選手にもあります。もちろん僕にもそれはあって、緊張する中、やってきた練習の成果を出すだけだと、割り切って泳ぎました。
――すさまじいプレッシャーの中で、きちんと結果を出すには何が重要でしょうか。
「自分のレース」をすることが一番大切です。競泳はつかみ合ったり人が邪魔したりする競技ではなく、自分の身一つで順位を競うスポーツ。自分自身がこういうレースをすると決めてその通りに泳げば、勝てるシンプルな競技です。でも、隣の選手が気になってペースが乱れればタイムロスが生じて思い通りのレースにならない。いかに周りに翻弄されず、自分が決めたレースを最後まで貫けるか。ある意味、心理戦でもありますが、自分のレースを貫くことができるのが、大きな舞台で結果を出せる一流選手です。そのためには、普段から他人と比べて練習やレースをするのではなく、自分と向き合い、自分で決めた目標を達成し続ける姿勢が大切だと思います。
――自分と向き合うためにも、その都度レースに対して目標を持っている?
もちろんそうです。大きな大会ほど目標を立てて挑むことが重要ですが、その通過点となる小さな試合でも、今回はどんなレース展開にするかとか、前半はこれくらいのタイムで入るといった通過タイムなどもコーチと相談しながら決めて、自分の泳ぎに集中しながら挑んでいます。
――個人メドレーの萩野公介選手や瀬戸大也選手など、他の種目はライバルが切磋琢磨(せっさたくま)しながら競技力を上げてきたように思います。背泳ぎは後輩たちがなかなか上がって来ず、長い間、入江選手が一人でけん引してきたような印象があります。国内のライバル不在のしんどさを感じたことは?
今回の五輪選考会でも他の種目では若い選手が代表に入っていますし、背泳ぎももっと若い選手が出てきてほしいっていう気持ちは、正直あります。自分の競技人生も決して長くはないので、次の世代の選手たちがもっと引っ張ってほしいとも思います。でも、そこに関して僕はどうすることもできません。
ライバルがいないしんどさに関しては、あまり感じていませんでした。国内ではなく、世界で競い合うことを意識しているので。自分の中で目標を決めて、それに向かって淡々とトレーニングするだけです。ただやはり、日本選手権を連覇しているとはいえ、水泳をやめたいと思う挫折はたくさんありました。
(次回に続く)
(ライター 高島三幸、写真 厚地健太郎)
1990年大阪府生まれ。0歳から水泳を始める。2008年北京五輪で200m背泳ぎ5位入賞。09年背泳ぎ100m、200mで日本記録を樹立。12年近畿大学卒業の年に、ロンドン五輪で背泳ぎ200mと4×100mメドレーリレーで銀メダル、背泳ぎ100mで銅メダルを獲得。16年リオデジャネイロ五輪で100m7位、200m8位入賞。東京五輪代表に内定し、競泳チームの主将を務める。イトマン東進所属。著書に『それでも、僕は泳ぎ続ける。~心を腐らせない54の習慣~』(KADOKAWA)。
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
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