2021/5/28

当然ながら、解読への鍵は研究者が十分なデータを集められるかどうかにかかっている。機械学習は膨大な量の情報を必要とするが、ゲロー氏が持っている記録はわずか数千件にすぎない。クジラの発話にパターンを見いだすためには、おそらくは数千万かそれ以上の数のコーダが必要となるだろう。

また、科学者たちはコミュニケーションと行動を正しく組み合わせる必要があると考えている。狩りに行く前に現れる特定のコーダや、交尾をすると決めるときに作られる音の配列はあるだろうか。

「これはパーティーのようなものです」とグルーバー氏は言う。パーティー会場のあちらこちらにマイクを数本設置すれば、会話の断片を拾うことはできる。しかし、人々の行動を観察することによってはじめて(だれがだれの腕を触ったか、だれがよりよい相手を探して部屋を見回しているかなど)、「その場の全体像が見えてくるのです」

動物のコミュニケーション研究に革命を起こす

CETIのリーダーたちは、ドミニカの海でより大々的にクジラのモニタリングを実施するために、同国とパートナーシップを結んだ。CETIのチームはまた、ナショナル ジオグラフィック協会からの資金提供も受けている。

CETIの研究者たちはすでに1年をかけて、高解像度の水中センサーを大量に配置しつつあり、この装置が1日24時間、ゲロー氏がクジラを調査している海域の広範囲で音を記録し続ける。

マッコウクジラは1時間のうち10分程度しか海面付近にいないため、研究者たちは音声や画像を記録する装置を多数設置して、水中深くで交わされている言葉を記録する。そして、AIが、おしゃべりの中にあるパターンを探し出す(PHOTOGRAPH BY BRIAN SKERRY)

ナショナル ジオグラフィックの探検技術ラボは、ナショジオ エクスプローラーでもあるハーバード大学のロボット研究者ウッド氏とともに、吸盤でクジラの体に貼り付く新しいビデオカメラの設計に協力した。このカメラは従来のものとは異なり、クジラが狩りをする深さの圧力に耐え、ほぼ完全な暗闇の中で画像を撮影し、高品質の音声を記録することができる。

MITのラス氏は、音や映像を目立たないように記録できる空中、浮遊、水中ドローンの開発に携わっている。最近では、サンゴ礁にすむ魚の尾の動きをまねて静かに泳ぐロボットの製作にも手を貸した。

「できる限り多くのことを知りたいと思っています」とグルーバー氏は言う。「天気はどうなっているか、だれがだれに話しかけているのか、10キロ先では何が起こっているか、クジラは空腹なのか、病気なのか、妊娠しているのか、交尾しているのかといったことすべてです。しかしそれを行うにあたっては、できる限り目立たない存在でいたいのです」

外部の専門家は、CETIは野生動物研究に革命を起こすかもしれないと述べている。

米コーネル大学の音響生態学者ミシェル・フォーネット氏は、このプロジェクトは動物研究におけるとりわけ困難な問題に取り組むものだと指摘する。人間はみな、動物の中に人間に似たパターンを見てしまう傾向がある。

「わたしたちはザトウクジラが胸びれを振っているのを見て、彼らがあいさつをしているのだと思ってしまいます」。しかし、たいていの場合、彼らは単に攻撃的になっているに過ぎない。AIであれば、わたしたちが持つ偏見を排除して、コミュニケーションや行動の意味をより正確に見定めることができるだろうと、フォーネット氏は言う。

CETIの研究者たちはむしろ、発見の旅そのものに大きな価値があると考えている。アポロ計画によって人類は月面に到達したが、その過程でわたしたちは、電卓、面ファスナー、トランジスタなどを発明し、それらは今回のプロジェクトを可能にしたデジタル時代の幕開けに貢献した。たとえCETIがマッコウクジラの暗号を解読できなかったとしても、研究者たちは必ずや、機械学習、動物のコミュニケーション、そして世界で最も神秘的な生物の一つであるマッコウクジラへの理解を大きく前進させるだろう。

今後、もしマッコウクジラの発声の構造がより明らかになれば、研究チームがクジラとの意思疎通を試みる可能性もある。その場合はしかし、異種間で対話をするというよりも、クジラが予想通りの反応をするかどうかを確かめることになるだろう。

「クジラに向かって何を話すのかという問いは的外れです」とゲロー氏は言う。「なぜなら、それは彼らが言語を持っていることを前提とした問いだからです」

グルーバー氏もこれに同意する。「目的は、わたしたちがクジラに話しかけることではありません。クジラが自分たちの環境において、自分たちの思い通りに話している言葉に耳を傾けることです。それが、わたしたちが大切にしている考え方です」

(文 CRAIG WELCH、写真 BYBRIAN SKERRY、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年5月2日付]

ナショジオメルマガ