器が大きかった、文化放送の上司・先輩

実はこの年の文化放送の求人は「女子3人と男子スポーツアナ1人」だったと、後で知った。今と違って、就職関連の情報は入手が難しい時代だった。

しかし、言われてみれば、なるほどと思う出来事があった。2次試験では神宮球場で野球実況のまねごとをさせられた。私は全くの初体験だったが、それが幸いした。なまじ放送研究会のようなところでスキルをかじっている志願者より、何も知らなかったせいでハチャメチャだった私のほうが受けがよかったおかげで採用されたらしい。

もっとも、入社後はスポーツ方面のうとさを、先輩たちにひどくあきれられた。厳しく指導を受けても、スポーツアナとしては使い物にならないと見切られたのか、約1年でスポーツはお払い箱になった。

しかし、禍福はあざなえる縄のごとしとはよくいったものだ。スポーツ畑での道を断たれたおかげで、音楽番組系に移ることができたのだ。そこには、既にスターだったみのさんがいた。みのさんのアシスタントを務める幸運にも恵まれた。

音楽畑に進んだことは、意外なキャリアを開くきっかけにもなった。大先輩アナが担当する歌謡曲番組のアシスタントを務めた際、「5分だけ時間をあげるから、好きにやれ」と言われたのだ。考えた末に、演歌の歌詞を自己流で英語に訳して歌う「イングリッシュ歌謡曲」を始めたら、意外に受けた。私のひそかな趣味を披露したものだ。

レコード会社からは「うちからレコードを出しませんか?」と誘われ、言われるがままにアルバム「梶原茂のイングリッシュ演歌」をリリース。そこそこのヒットになって、日本レコード大賞の企画賞にノミネートされた。なかでも八代亜紀さんの名曲「舟唄」を歌ったバージョンは宝酒造のテレビCM曲に使われた。

文化放送はこういう「キワモノ企画」が嫌いではなかったおかげで、いろいろなチャレンジをさせてもらった。懐の深い会社だった。たとえば、局アナの立場だった時代に、フジテレビ系の紀行クイズ番組「なるほど!ザ・ワールド」で国内特集レポーターを務めた。同じグループ内とはいえ、全くの別会社で別番組。旅に出る必要がある構成だけに、時にはラジオの仕事を放り出し、ロケからロケへと飛び回った。

クイズ番組では日本テレビ系の「全国高等学校クイズ選手権」でも進行を手伝った。こちらは系列も違う。今さらながらに文化放送は器の大きい会社だったと思う。

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