宮沢 そこでのリアリティーというのは?

多くの人が“隈研吾の転換点”と位置付ける美術館。2000年に完成した(絵・文:宮沢洋)

 ある種の「切れ味」みたいなものと、「洞窟的なもの」ですかね。「M2」って、真ん中に洞窟みたいな穴が空いているでしょう。あの穴って、広重美術館(那珂川町馬頭広重美術館、2000年竣工)で貫通している穴にも通じる。V&A(V&Aダンディー美術館、英国、2018年竣工)もそうだね。

宮沢 なるほど、言われてみれば。

 「洞窟」と「切れ味」なんだよね。洞窟的なものの中に自分が包み込まれる感じ。映像として距離を置いて見るのではなくて、体を没入させ、体を震わせたい。それが僕の最初からの設計の癖なんですよね。

宮沢 「切れ味」というのは。

 突き刺さるような感じですね。例えば、角川(ところざわサクラタウンの角川武蔵野ミュージアム、2020年竣工)が典型的。石で覆っているんだけれど、その切断面を見せることで、その素材が自分に突き刺さってくるようにしたい。M2でも、いろいろな素材がどうやったら自分に突き刺さってくるかを考えて、切断面を加えていった。

宮沢 なるほど。確かに、M2も切り貼りしたような切断面が見えるから、パラパラした感じを受けるのかもしれません。

 廃虚的な表現というのは、それまでもポストモダンの中で使われてきたわけだけれど、例えば磯崎(新)さん(建築家、1931年~)の廃虚的表現は、ビジュアルとしての廃虚。僕は、切断面を見せることで物質感を突きつけたい。

宮沢 今、振り返ってみると、ポストモダン期を象徴する建築は、磯崎さんの「つくばセンタービル」(1983年竣工)か、隈さんのM2か、と思うわけですが、当時、M2はそんなに批判されたのですか。隈さんが、「その後10年間、東京の仕事がなくなった」という話をよくされていますが、そんなにたたかれていた記憶が私には……。

 たたかれましたよ(笑)。伊東(豊雄)さんと対談したときなんか、相当たたかれました。最後の原稿にどれくらい残ったのかは覚えていませんが。磯崎さんにもかなり言われた。M2ができたのはポストモダンの最後の頃だったでしょう。磯崎さんはM2をひどく言うことで、ポストモダンから巧みに脱出しようとしたんだと思う。

「作品」思考を離れ「1つ足す」ことの面白さへ

宮沢 最後に、今回の本をつくっていてどうしても聞いてみたかったことが1つあります。隈さんは以前に「建築設計は継続することが宝である」と書かれていて、確かにこういう進化図を描くことができるのも、そうした意識が強いからだろうと思います。建築家の中には一度トライしたことは繰り返さないタイプの人も多いですが、隈さんはいつごろ、どんなきっかけで「継続」を重視するようになったのでしょうか。

 それはね、この本で見いだしてくれた「ふんわり系」の話とすごくつながっています。ふんわり系というのは、1つの建築で完結するような、すごいものを目指していないんです。

宮沢 あ、やっぱりそうなんですか。他の建築家の方があまりやらないのは、ここが一番、建築作品になりづらいからですよね。

 そう、作品になりづらい。「作品」という概念自体が近代の危険な概念で、それが環境を壊し、建築家の信頼を壊してきた。

実際のプロジェクトは、どう見てもこれは作品にはならない、コスト的にも物理的にも……というものがほとんどなんです。頭の中ではいろいろ考えるけれど、現場に行って敷地を見て予算を聞いてその使い方の話を聞くと、これはどう見ても作品にならないと思う。

でも、その人たちに喜んでもらうことが絶対条件だし、自分でもそれを通じて何かの達成をしたい。その達成というのは作品をつくるという意味ではなくて、自分がずっとやってきたものの延長に何かを足すこと。そういう達成の方法がある。

何か1つ足したくらいでは雑誌は取り上げない。でも、自分的には「これが足せたんだ」というのはすごく大きい。それは「作品」を生み出す以上の満足かもしれないと思えるようになってきた。それで、このふんわり系が広がったんでしょうね。

それは「ラボ的なつくり方」という言葉でも説明できます。ラボというのは、作品を生み出すことが目的ではない。これまで研究してきたことに1つ足せればいいわけです。それが楽しいんです。

(日経クロステック/日経アーキテクチュア副編集長 菅原由依子)

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