世界の「お札の顔」物語 異なる肖像を描いた国の事情

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

苦しい内戦を終えたボスニア・ヘルツェゴビナでは、2つに分裂した文化的アイデンティティーを示すために、1種類の紙幣につき2つのデザインが採用された。そのため同国の50マルク紙幣には、20世紀ボスニア人の詩人ムサ・チャジム・チャティッチが描かれているもの(この写真)と、セルビア人の詩人ヨヴァン・ドゥチッチが描かれているものがある(PHOTOGRAPH BY JANUSZ PIENKOWSKI)

貨幣のデザインは、国のアイデンティティーを如実に表すシンボルだ。国家のアイデンティティーが変われば、その国の硬貨と紙幣のデザインも変わる。そしてデザインが変わるときに、議論が巻き起こることもある。

例えば米国では以前から、奴隷制廃止を訴えたハリエット・タブマンを、元大統領のアンドリュー・ジャクソンに代えて20ドル紙幣の顔にするという計画があった。米財務省は、2020年の女性参政権100周年に合わせてこのデザインの紙幣を発行したいと考えていたが、当時のドナルド・トランプ大統領がこれについて「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)のためでしかない」と批判したことで、計画は棚上げされた。そしてバイデン政権に変わり、保留されたデザイン変更計画を再開することが発表されている。

世界の国々では、自国の紙幣に誰を描くのか、それはどのようなプロセスで決定されているのか。そして、その紙幣はどんな過去を伝えているのだろうか? ここでは、各国の紙幣とその誕生にまつわるストーリーを紹介してみたい。

米国

1866年、米財務省が新たな5セント紙幣を発行すると、論争が巻き起こった。そこには、現在の造幣局に当たる組織の初代局長スペンサー・クラークの肖像が描かれていた。クラークはその数年前、一部の議員から、不正行為と「はなはだしい不道徳」を糾弾されたことがあり(議会の委員会はこの告発を却下している)、あまり評判が良くなかった。

世論の反発を受け、米議会は1866年4月7日、「生きている人間の肖像または似顔絵」を同国の貨幣に掲載することを禁ずる法律を可決した。米国の法律は現在も、生きている人間の肖像を使用することを禁じており、たとえそれが過去の大統領の記念硬貨であろうとも、本人の死後2年が経過しなければ発行できないことになっている。

米国では貨幣の顔に、主に歴代大統領や建国の父たちが選ばれている。ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーン、アレクサンダー・ハミルトン、ユリシーズ・S・グラント、ベンジャミン・フランクリンなどの肖像が描かれた。

ボスニア・ヘルツェゴビナ

ボスニア・ヘルツェゴビナの紙幣には、同国の著名作家たちの肖像が描かれている。だが、これは文学への称賛というよりも、対立回避を目的としたものというのが実際のところだ。1995年のデイトン合意により、ボスニアでは長年の内戦に終止符が打たれ、スルプスカ共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦という2つの主体からなる1つの国家が誕生した。

同様に、同国の100マルク紙幣には、セルビア人作家・活動家のペタル・コチッチが描かれたもの(この写真)と、クロアチア人の詩人ニコラ・ショップが描かれたものがある(PHOTOGRAPH BY JANUSZ PIENKOWSKI)

同様に、この新しい国家では単一の通貨「兌換(だかん)マルク」を発行しつつ、両サイドの文化的アイデンティティーを反映させるために、各紙幣はどれも2つの種類が作られることになった。ただし当初の案は、紙幣に求められる統一感がなかったために却下された。中でも物議をかもしたデザインが、セルビア人の英雄ガブリロ・プリンツィプをモチーフにしたものだった。プリンツィプは、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公を暗殺して、第1次世界大戦を勃発させたことで知られる人物だ。

紙幣のデザインをめぐる議論が長引いたため、1997年に開業した中央銀行は、やむを得ず紙幣の代わりにクーポン券を発行しなければならなかったほどだ。最終的には、作家の肖像を採用することで両サイドが合意し、さらに5マルク紙幣にはどちらも小説家のメシャ・セリモビッチを選ぶという共通点も生まれた。この紙幣はその後廃止となったが、2002年には、ノーベル賞作家のイボ・アンドリッチを採用した新しい200マルク紙幣が発行されている。

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