物理学を本格的に学びたいと思うようになりました。一般相対性理論における「アインシュタイン方程式」が分からず、ゼロから探求したいと。それで教養学部を卒業後、理学部物理学科に編入学しました。一般の企業などへの就職からどんどん離れますが、サラリーマンだった父は何も言いませんでした。

「筑波大付属に似た雰囲気の東大教養学部教養学科で学んで、本格的に物理学を学びたいと思うようになった」と振り返る

物理学科の同期に脳科学者として知られる茂木健一郎くんがいます。東京学芸大学付属高校を卒業して、東大の理学部に進学しますが、その後、法学部に編入学したので、私とは逆のパターンです。彼は今よりもおとなしく、黙々と努力するタイプでした。4年の時に当時は人気のなかった「生物物理学」を専攻しますが、研究室に入ったのは私と茂木くんだけ。よく2人で飲み歩いていました。交流は今も続いています。

「素粒子論」を研究したいと大学院の試験を受けましたが、落ちました。物質の根源とは何かを問う素粒子物理学は人気が高く、高校の頃から物理学を熱心に学んできた学生にはかないませんでした。それで海外で物理学の研究をしようと考えました。当時の学生は国内の大学院に進み、留学する研究者が大半でした。しかし、私の場合は子供の頃、米国に滞在し、語学面での問題はありません。奨学金も自力で獲得できたので、学部卒での海外留学を決意しました。

カナダのモントリオールにあるマギル大学で物理学の研究を始めた。

日本ではあまり知られていませんが、1821年に創立されたカナダで最も歴史のある総合大学で、ノーベル賞受賞者も輩出しています。宇宙物理学などを研究し、1992年に高エネルギー物理学で博士号を取得しました。モントリオール生活は7年間に及び、32歳になっていました。さあ、物理学者として生きていこうと思ったとき、世界的な大事件のあおりを受けることになりました。

1991年末、いわゆる「ソビエト連邦の崩壊」が起こったのです。旧ソ連の有能な物理学者や数学者など研究者が一斉に西側に移りました。この頭脳流出により欧米の研究者はたちまち就職難に陥りました。マギル大で博士号を取得した優秀な同僚は、世界中の100あまりの大学に応募しましたが、なかなか採用されませんでした。周囲に天才的な研究者がひしめくなか、物理学者としての才能にも限界を感じていました。

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