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立川談笑、らくご「虎の穴」

2021/3/28

立川談笑、らくご「虎の穴」

レンマの論理について考える時に難しいのは、そうやって考える時に使う言語的思考自体がすでにロゴスの論理に基づいてしまっていることだ。人は言葉を順番に並べていくことで思考する。それ自体がロゴス的知性に他ならない。

AならばB、BならばCと物事が因果関係によって順番に並べられていくロゴスの世界に対して、全体をまるごと直観によって把握するレンマの世界では、それぞれがお互いに影響し合う。部分が全体に影響を及ぼし、同時に全体が部分に影響を及ぼす、そんな世界だ。

これまで知らず知らずのうちにロゴスの論理に偏重してきた自分だからこそ、レンマの論理を知り・学び・実感することができればまた違う創作スタイルにたどり着けるのではないかと思い、色々と独学するようになった。

数学から仏教、気づけば詩

気づけば数学が関心領域だった頃とは興味の対象が大きく変わり、それは曼荼羅(まんだら)、仏教、華厳経、ナーガールジュナ、中論、西田幾多郎、南方熊楠というような方に移っていった。

その延長で、気づけば詩に関心を持つようになった。先述したように、いま書いているこの文章も含めてほとんどの言語活動はロゴス的理性によるものだ。そんな中で、詩は言語を使用しているにもかかわらずレンマ的理性で成り立っている。逆に言えばロゴス的理性で書かれた詩は、もはや詩とは呼べない。詩の中で紡がれた言葉は、散文と違い意味や語順を超えてそれぞれがそれぞれに響き合って一編の詩を形作るからこそ味わい深い。

古今東西、様々な詩の形式があるとして、こと日本においては俳句がとどめを刺す。五七五のたった十七文字しか使えないからこそ、それぞれの言葉が相互に響きあうレンマの論理を駆動させる必要がある。そういった経緯で、数学が好きで数学的な思考でネタを作り続けてきた僕が最近は仏教や俳句について関心を持つに至った。そして最近、連歌の存在を知った。

連歌とは複数人で「五七五」と「七七」を順番に詠みあう。

1人目が「五七五」を詠むと(発句という)、次の人はその五七五の後に続く「七七」を詠む(脇句という)。知らなかったのは、続く3人目は脇句の前に付く別の「五七五」を詠むということ。「五七五→七七、五七五→七七、五七五→七七」と交互に連なるだけでなく、「五七五→七七←五七五→七七←五七五」とどんな時でも前で詠まれた部分に影響を受けた状態で新しく言葉を紡ぐ必要がある。

その仕組みを知った時に、これはやるべきだと強く思った。そもそもの俳句や短歌がレンマ的であることに加えて、それぞれが別の句に影響し合う連歌の持つ構造自体がレンマ的だと感じたからだ。連歌はレンマ的思考の賜物だ。そしてそれはこれまでの僕に欠けていたものだ。

かくして僕はこの春から連歌を始めることにした。「なんでまた連歌を?」と聞かれた時、素直に返すと「面白いネタを作れるようになりたいから」となるけど、さすがにそれはロゴスの論理としては飛躍が過ぎる。

ゆらゆらと淡き影行く春路かな(吉笑)

  朽ちたる翅(はね)のひとへふたへに(後輩)

寂しさに暴れて帰る春の猫(先輩)

  宵の早緑雲上の月(吉笑)

うそほんとうそとならべたことのはよ(後輩)

  大風ありて一葉残れる(先輩)

百韻を目指す連歌は、まだ始まったばかりだ。

立川吉笑
 本名は人羅真樹(ひとら・まさき)。1984年6月27日生まれ、京都市出身。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。2010年11月、立川談笑に入門。12年4月、二ツ目に昇進。軽妙かつ時にはシュールな創作落語を多数手掛ける。エッセー連載やテレビ・ラジオ出演などで多彩な才能を発揮。19年4月から月1回定例の「ひとり会」も始めた。著書に「現在落語論」(毎日新聞出版)。

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