何があれば人は生きられるのか 司馬遷にとっての史記司馬遷「史記」研究家・書家 吉岡和夫さん

「司馬遷(しばせん)」(書・吉岡和夫)
中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ~同86年ごろ)が書き残した「史記」について、元銀行マンの書家・吉岡和夫さん(81)が1年8カ月にわたって連載した「古代『史記』 偉人の出世学」。32回目となる最終回の主役は、司馬遷その人です。(前回の記事は「『富貴になりたい』だけではダメ 史記が教える真の志」

中学生だったころ、中島敦の名作「李陵(りりょう)」に出合いました。そこには、名将・李陵と、硬骨の義人・蘇武(そぶ)、そして司馬遷の数奇な人生が鮮やかに描かれていました。武勇に優れ、士卒を愛した李陵の生き方に感動したものでした。

中島敦「李陵」に学んだ美しい心

当時の私は美しいものを求めてさ迷っていました。「李陵」を読み、何より美しいと感じたのは人の心です。司馬遷「史記」を知ったのもこの時でした。史記をたずね、そこに登場する偉人のことにふれたとき、電気が通うような衝撃が走ったものです。彼らの高節を慕い、名言に酔っていました。

今回は史記の最終巻「太史公自序」をもとに司馬遷その人の生き方を追い、人が生きる理由について考えたいと思います。

司馬遷の祖先は、周(紀元前1050年ごろ~同256年)の歴史を記録する史官でした。晋・衛・秦などの国を転々とします。紀元前206年に始まる前漢時代、司馬遷の父、談(たん)は天文や老子などを学んだ後、太史令(史官)となります。
紀元前110年、武帝は封禅(ほうぜん)を思い立ちます。泰山に登って天地に皇帝即位を宣明する歴史的な一大イベントだったのですが、司馬談は太史令でありながら随行がかないませんでした。そして憤りのあまり病に倒れ死んでしまいます。死の床で談は息子・遷の手を取り、涙します。
 (こ)れ命なるかな。命なるかな。余(よ)死せば汝(なんぢ)必ず太史と為(な)らん。太史と為らば、吾(わ)が論著(ろんちよ)せんと欲(ほつ)する所を忘るること無かれ。
これは運命だろうか。運命だろうか。私が死ねばおまえが必ず太史令となろう。太史令となったならば、私が書き記そうとしていたことを忘れるな――。孔子が「春秋」をまとめてから400年余り、談は新たな通史が必要と考えていたのです。遷もまた涙を流しながら「父上が集めた聞き伝えを無駄にはしません」と約束し、遺志を守って著作に取りかかります。42歳のころでした。
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