能楽師・安田登さん 自分の可能性広げる三流のススメ
ある時は古典を教える寺子屋のお師匠さん。ある時は、ロルフィングという施術で体の動きを改善する米国公認ロルファー。またある時は、劇団の座長。さらには3DCGの本を書き、仮想現実(VR)まで研究する恐るべき「サードプレイス」を持つ摩訶(まか)不思議な能楽師、安田登さん。常に自分がそそられる世界を見つけては、自由自在にホッピングし続ける。まるで陽気な遊牧民みたいな安田式サードプレイス道には、迷える私たちが、ハラ落ちする珠玉のヒントがありました。
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サードプレイスと三流のススメ
まず「サードプレイス」の前に、僕が今、推進している「三流のススメ」についてのお話を少々。
人間には、一生一つのことを追い続けることが得意な人がいますよね。一流とは本来、一つのことをするという意味です。一流の人たちは、ファーストプレイス、またはセカンドプレイスとしての仕事を大事にし、どんな立場に追いやられても、「自分はこれが好きなんだ」と迷わずやり続けることができる。
一方、いろんなことをする人や、始めてはやめ、また始めては他のことに目が行ってしまう人は、三流と言われます。それも、ちょっぴりいじわるなニュアンスで。
僕を含めた多くの人は、一流じゃないほうの人です。「じゃない人」は案外と多いのに、日本では一流こそ素晴らしいということになっている。
でも、それって本当でしょうか? そんな価値観に縛られるのって、なんだかとっても窮屈だなと僕は思うんです。
どうせならいろんなことをしよう、いろんな場所に行ってみようというのが、僕の三流のススメ。ポイントは「三流でもいい」ではなく「三流がいい」。そう決めることで、ずいぶんと気楽にさまざまなことができ、可能性が広がるような気がしませんか?
サードプレイスにこれから向かう皆さんは、ぜひ心の内ポケットにきらめく三流魂をしのばせてみてください。
数を数える時に「ひとつ、ふたつ、いっぱい」と言う民族がいますよね。老子の一節にも、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」とあります。
つまり、サードプレイス以上は、限りなく開かれたもの。 そこで、サードプレイスをもう一つの世界とは考えずに、「いっぱい」と考えてみます。さあ、ここからサードプレイスは、もろもろのプレイスです。
サードプレイスは、苦手なことをやらない
もろもろのプレイスを得るために、僕が考えるのは、まず苦手なものはやらない、頑張らないという選択です。
僕は神話などを上演する一座を主宰していますが、必ず遅刻するメンバーがいるんです。どのくらい遅刻するかというと、新幹線に乗る時間に目を覚ます。彼女は、大きな商社に勤めているんですが、入社試験も忘れていたそうです。会社から電話があり、その日最後の面接に入れてもらい採用された。こうなると、彼女に時間通りに来なくちゃダメだって言うほうが間違いでしょう?
うちの一座では誰も遅刻を責めないことになっています。本番に誰かが間に合わなければ、直前に台本を書き換えればいい。お客さんには分からない。
彼女にとっては、遅刻も天命の一つ。「時間通り」が苦手な彼女は、それを克服しようと頑張る必要はなく、それでOKな場を選べばよいのです。
得意なことがすくすく育つ場所を確保する
そんなことを言うと、でも彼女には遅刻が許されるような何か得意なことがあるからでしょ? って思う人がいるかもしれない。
でも、それは別の話。得意なことは別になくていい。まだ見つかっていないだけのことですから。苦手なことをさっぱりやめると、穴ができます。穴に「工」を付けると空になります。空間が広がり、その穴から新しいものが入ることができる。得意なものがすくすく育つ場所が確保できるのです。
さて、自分の中に良い具合に穴ができました。ここで何をやるか。
不惑は「惑わず」ではない…?
儒教の祖である孔子は『論語』の中で、「四十にして惑わず」と言っていますよね。さすがは孔子、四十歳で迷いがなくなったんだ。自分も迷いなく生きなくちゃ……。40歳になると人はそう解釈しがちです。
でも、いま発見されている資料をリサーチしてみると、孔子が生きた時代には、「惑」という漢字は存在しないんです。となると、口承されてきたものが時代を経て文字化する時に、たまたま当てはめられた漢字である可能性が高い。
孔子の時代に存在したのは、「惑」ではなく、「或」という漢字です。これは、「区切る」という意味。つまり、孔子は「四十にして区切らず」と言ったと、考えられるのです。
40歳くらいになると、自分はこんな人間だとか、自分にはこれは関係ないとか、まわりに柵を作って区切り始めますでしょう? 孔子はそんなものを排除して、もっともっと、いろんなことをしなさいと言った。それをやることで、自分の本当にやりたいことが見えてくると。
でも、いわゆる「自分探し」なんかしてはいけません。それもまた、最初から自分を、制限し区切ることですから。
書店で一度も行ったことのない棚へ行く
こうして「不惑」をやる時に、大事なキーワードは「博学」です。
まずお勧めしたいのは、大型書店に行くこと。店内を見渡すと、まず自分が行かないフロアや棚がありますね。あえてそこに行き、ちょっと気になった薄い本を1冊買う。読んでみる。多分理解できない。もう1冊買う。こうして3冊くらい読むと、全く興味がなかったはずの世界が見えてくる。そういう風にして、興味のない棚をどんどんなくしていく。
無関心でいた棚にも、必ずワクワクする本があります。
じつは僕、娘が小学5年の頃に離婚し、シングルファーザーになったんです。娘のために僕が料理を作らなくちゃいけないのですが、料理に全く興味がないので、ほぼ外食でした。ところが最近になって、これまで行ったことのない書店の棚の中で、土井善晴さんの一汁一菜の本と出合うんです。おや? これはなんだか面白そうだと引かれ、料理を始めたわけです。すると、とっても楽しい。大切なことは、読むだけではなく実践すること。
博学とは何でも知っていること、ではない
博学の本来の意味は、なんでも知っていることではなく、一本ずつ田んぼに苗を手で植えていくこと。
博学の「博」という字は、もともとは田圃の「圃」が右上にありました。下の「寸」は手を表すので、稲を手で植えるという意味。一つひとつ植えていきます。また、「学」の昔の字は「學」で上の両サイドにあるのが手、中央にある2つの「メ」が「まねる」を意味します。師が弟子の手足を取りながら教え、まねをさせることが「學」。
つまり一つひとつ着実に学んで実践し、初めて「博学」になるというわけです。近ごろはネットでも多様な講座が受けられます。全く興味がないジャンルの講座を受けてみるのも手。でも、自分がワクワクするものしか選んではいけません。
僕は昨年、コロナの影響で舞台がなくなった期間、Unity(ゲーム開発プラットホーム)のプログラム言語をネットで勉強しました。もともと3DCGは作れるんですが、VR空間も自分で作れるようになろうと思って。やってみると簡単にできるようになるんですよ。それも授業料2000円とか3000円とかで。
ね、ワクワクしますでしょう?
孔子は、「五十にして天命を知る」と書いています。まだ自分が何をしたいか見つからないという人は、当たり前。
だって、孔子ですら五十ですから!
下掛宝生流ワキ方能楽師。1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代にマージャンを通じて甲骨文字に目覚め、大学では中国古代哲学を学ぶ。高校教師を経て25歳で能の世界へ。3DCGや風水、エイズなど多様なテーマの著作は40冊超。現在は国内外で能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、論語などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を各地で開催。近著に『野の古典』(紀伊國屋書店)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(新潮文庫)、『すごい論語』『あわいの力』(ミシマ社)など。
(取材・文 さくらいよしえ、写真 鈴木愛子)
[日経xwoman 2021年1月4日付の掲載記事を基に再構成]
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