「攻めて粘る走り」見せたい 箱根連覇、五輪も視野震災10年・離れて今(5)青森県 田沢廉さん

2021/3/18

震災10年・離れて今

冬になると田沢廉さんの故郷を流れる新井田川に白鳥が飛来する(2020年10月、青森県八戸市)=上田亮子さん撮影
東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故から10年。少年少女時代に被災し、現在は進学・就職などで地元を離れている若者たちは今、故郷にどんな思いを抱いているのか。「震災10年・離れて今」第5回は、青森県八戸市出身で駒沢大学陸上競技部主将の田沢廉(たざわ・れん)さん(20)に電話インタビューした。

東日本大震災の青森県の死者・行方不明者は、高さ4・2メートル以上の津波が襲った八戸市を含め4人にのぼった。同市内で被災地を目の当たりにした田沢さんは、高校時代に長距離ランナーとして注目度が高まると、自分の走りで被災した人々を勇気づけられるのではないかと考えるように。大学駅伝の強豪・駒大のエースは今、各地で起きる地震や豪雨の被災者にも思いをはせるようになった。

――自然の豊かな故郷。人生最初の記憶のようなものはありますか。

「新井田川という川があって白鳥が飛来するんです。そこで白鳥にパンを投げてやっていたような……。これは幼稚園のころですね。小学校時代のことで思い浮かぶのは、グラウンドで遊んでいたことばかりです」

「地元には山車が魅力的な『八戸三社大祭』という誇れるイベントがあります。中学生になってからは、友達と『行こうぜ』と誘い合って、屋台を巡ったのが楽しい思い出ですね」

アラーム音で体が震える

――大学進学で東京に住み始めました。地元と何が違いますか。

「東京には結構、圧迫感みたいなものがあるんですね。のびのびできないというか、人が多くて、気を使う場面も多いなと。そういう部分では、やっぱり田舎がいいなという気がします。(帰省すると)落ち着く感じがしますね、やっぱり」

――市立是川(これかわ)小学校のころから地元のマラソン大会で活躍されています。陸上競技に目覚めたきっかけは。

「校内マラソン大会ではずっと1位で、あるとき親から地域の大会に出てみればと言われて、調子に乗って出たんです。それがたしか4番。いつの大会だとかは忘れましたが、悔しい思いをしたのは覚えているんです。陸上は、自分に向いているというより、悔しいから始めた感じです」

――小4だった2011年3月11日に震災が発生。是川は市内では内陸部ですが、どんな状況でしたか。

「自分はいつも地震に気づくのが早くて、そのときも学校の教室で『先生、地震が来ましたよ』と言っていたら、すごい揺れが来ました。机の下に隠れて、机がズレないように押さえるのが精いっぱい。蛍光灯も落ちてきて、もうすごかった。揺れがおさまっても(余震が)すぐまた来たので、しばらく同じ体勢だった気がします」

「親の迎えを待って帰宅しましたが、家の中はいろんなものが倒れてぐちゃぐちゃ。当日は停電でテレビも映らず、情報もあまりなかったと思います。(緊急地震速報を知らせる)アラームの音、あれが今でも非常に怖いです。鳴ったら勝手に体が震えるほどです」

――外の様子はどうでしたか。

「数日後だったと思いますが、練習で港の近くに走りに行ったときの光景はよく覚えています。でっかい船が2隻、道路をえぐるように乗り上げていました。衝撃的でした」

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新3年生で主将に