イタリアとポルトガルの日常 ほっこり味わう郷土菓子
海外渡航が制限されて1年が過ぎようとしている。自由に行き来できる日が来るまで、現地の空気をそのままに伝えるディープな郷土菓子店で旅気分を味わうのはどうだろう。ヨーロッパの日常にどっぷりと浸れるイタリア菓子とポルトガル菓子の、いずれも都内の2店を紹介する。
イタリアの焼き菓子、「ホロッ」とした繊細な食感楽しんで 「ステファノ アンナ」(東京・吉祥寺)
人気の町、吉祥寺にあるとはいえ、JR中央線の吉祥寺駅と西荻窪駅のほぼ中間地点で、駅からは徒歩15分ほどの住宅地に静かにたたずむのが、「ステファノ アンナ」。店頭の冷蔵ケースには、ティラミスやカンノーリ、モンテビアンコ(モンブラン)など、有名なイタリア菓子も並ぶが、店のスペースの大部分を占めるのはイタリア各地の素朴な焼き菓子だ。その数60~70種類。一部は、現地のお菓子屋さんのように量り売りもしてくれる。
イタリアの焼き菓子は、バターや砂糖よりも粉の存在が一番に感じられるものだ。この店の焼き菓子も一見素朴だが、職人が見えないところに施す隠し包丁のように細やかな仕事が潜んでいて精巧。それでいて親しみやすく飽きさせない。10年を超える常連客が多いことも、腕の確かさを証明している。
この店でまず手にしたいのが、中央に穴の開いたマーガレット形の郷土菓子「カネストレッリ」だ。華やかさはないが滋味にあふれ、「ホロッ」としたこの菓子ならではの繊細な食感に魅せられる。
店主の石川晶子さんは、そのカネストレッリの故郷、イタリアのジェノバで修業した。修業先にジェノバを選んだ理由が、また面白い。調理師学校で調理と製菓を1年ずつ学び、2年生の時、卒業後の進路を見据えて母親と2人でパリを訪れた。お菓子屋さんを回るが、華やかな菓子を見てもなかなか心が動かない。日本へ帰る途中、父親がかつて仕事で縁のあったイタリアのジェノバに立ち寄った。地元の人が勧めてくれたお菓子屋さんをのぞき、たまたまカネストレッリを口にする。その瞬間、「ここしかない!」と修業先に決め、帰国。卒業後、単身ジェノバに渡った。
ジェノバに住む父親の知人が口添えはしてくれたものの、20歳そこそこの東洋人の女の子に務まるわけがないと、店主のステファノさんは、始めは全く取り合わなかった。「言葉もまだできませんから、目で仕事を追って、手伝えそうなことは先回りして動きました」。イタリアまで来たからには、必死である。その働きぶりにステファノさんの考え方が徐々に変わり、3カ月後には労働ビザも取得してくれた。
イタリアでは毎朝4時半に仕事が開始できるようスタンバイ。一緒に働くイタリア人スタッフたちは始業から8時間で仕事を上がるが、見習いの石川さんには、その後も別の仕事が待っていた。技術を吸収できるのはありがたいが、働きづめの毎日。「でも、一番働いていたのは店主でした。早朝にバールにおろす菓子パンを仕込むのに、深夜1時から」。しかもステファノさんは当時70歳を軽く超えていた。若い自分が弱音を吐けるはずもなかった。
3年たつ頃には「イタリアで結婚して、うちでずっと仕事をすればいい」と言われるほど職人として成長したが、遠距離恋愛を続けていた彼が日本で待っていたこともあり帰国。イタリアで覚えたことが薄まらないよう日本での修業はあえてせず、帰国した2007年に地元に店を開いた。技術は100%ステファノさん仕込み。だから、今も当時と同じ濃度のままイタリアの味が再現されている。ちなみにステファノさんは80歳を超えた今も現役で働いているそうだ。
ポルトガルの菓子は「働く人のおやつ」、赤ワインにも合う 「ドース イスピーガ」(東京・神田小川町)
次に紹介するのは、ディープなポルトガル菓子を製造販売する「ドース イスピーガ」だ。
平日は午前7時開店(土日祝は8時)。お菓子屋さんにしては異例の早さだ。9時にはショーケースにお菓子が出そろうが、午後の早い時間にはほとんど売り切れていることも珍しくない。ポルトガルの人気菓子、エッグタルトに至っては1カ月先まで予約でいっぱい。こう書くとスイーツハンターたちが列をなしていそうで、早々に諦めそうになるが、意外にも店のコンセプトは「働く人のためのおやつ」。場所もちょっと渋めのビジネス街、神田小川町にある。
店の主は高村美祐記さん。高村さんがポルトガルに至るまでのエピソードがユニークだ。「旅で外国に行くことに興味がなくて、10代の頃から住む前提で国を探していました。地元の日光で土産物屋の仕事に就いたのも、海外の観光客の方と接しながら、自分に合う国が探せると思ったからなんです」。合うかなと思う国の人に出会うと、帰りに書店に立ち寄り、ガイドブックや関連本に目を通す。しかし行動に移せる日はなかなか訪れず、ようやくポルトガルに決めたときには10年が過ぎていた。
北部の古都、ブラガで語学を学びながら念願の外国暮らしを1年。時間をかけて決めただけあってポルトガルは肌に合った。帰国後も縁を持ち続けたいと、ポルトガル人女性シェフが料理長を務める都内のレストランにフロアサービスの職を得る。入ってみると料理長が自ら手掛けていたのはデザートで、その手伝いから高村さんの菓子人生はスタートした。働き始めてまもなく、料理長が店を辞めることを告げられる。経験の浅い高村さんに大役が回ってきた。店の味を落とさないようプレッシャーの中で働くこと2年半。移動販売で独立を果たす。
移動販売の時から、九段下や半蔵門、四谷などビジネス街を選んだのは「働く人のためのおやつ」という明確なコンセプトがすでにあったから。ポルトガル菓子とビジネス街――この2つをつないだのはブラガでの暮らしにあった。「出勤前や仕事の合間にビジネスマンがカフェでサッと甘いものを食べて出ていく。その光景が妙に心に焼き付いたんです。東京でも働いている人のエネルギーになればと」
独立してからは、旅行でポルトガルに行く度に図書館へ足を運び、古いレシピ本にあたって配合や作り方を調べたり、菓子自慢のお母さんがいると聞けば紹介してもらったり、アイテムを増やしていった。学食のお母さんに教わったというプリンは秀逸で、一口でポルトガルへワープさせてくれる。高村さんが勧めてくれた「リス川のそよ風」はワーキングホリデーで店を手伝ってくれたポルトガル人が残したレシピで作られている。
「働く人のためのおやつ」はお酒とも縁が深い。ポルトガルには卵黄をたっぷり使ったお菓子が多いのだが、これが赤ワインに合う。また甘食にそっくりな「エコノミコス」にはアグアルディエンテ(ブドウの蒸留酒)が入っていて、時間がたつほどに馴染み、味わいの変化を数日間楽しめる。
店にはワインのほかに、ジンジーニャというリスボン名物、サクランボのリキュールもあり、店先でキュッと一杯ひっかけて、現地スタイルを気取ることもできる。数百円で旅気分を味わえるスポットは、長引くコロナ禍において働く人のオアシスになっている。
(ライター 伊東由美子)
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