2021/3/22
この小さな大腿骨の断片PP-00128は、当初はクマのものと考えられていたが、遺伝子解析の結果、家畜化されたイヌのものであることが判明した(PHOTOGRAPH BY DOUGLAS LEVERE, UNIVERSITY AT BUFFALO)

しかし、1万6700年前という年代はイヌが遺伝学的に分岐した時点であり、個体群が分裂した時点であるとは限らない。つまり、家畜化されたイヌが初めてアメリカ大陸に入ってきた時期を示す数字ではないということだ。

それでも、アラスカ沿岸の氷床が急速に後退した時期に、この地域の海岸に家畜化されたイヌがいたという事実から、人間がどのようなルートを移動したかが浮かび上がってくる。

科学者たちは、最初にアメリカ大陸にやって来た人々が大陸ルート(北米大陸西部のコルディレラ氷床とローレンタイド氷床の間)を通ってきたのか、それとも海岸ルート(太平洋の海岸線沿い)を南下してきたのかを知りたいと願っている。「どちらの移動経路もあったはずです」と米バッファロー大学の進化生物学者で、今回の論文の共著者であるシャーロット・リンドクビスト氏は言うが、これまでの研究から、海岸ルートの方が氷が早く後退し、新世界への回廊となったことが示されている。

毛皮を着た十徳ナイフ

PP-00128の同位体分析から、このイヌは、魚やクジラやアザラシの肉などを食べていたことが明らかになった。おそらく飼い主の食べ残しなどを与えられていたのだろう。このイヌが生前どのようなイヌだったのかは不明だが、専門家はいくつかの合理的な推測をしている。

カナダ、アルバータ大学で人間と動物の関係に着目した研究をしている考古学者のロバート・ロージー氏は、今回の研究には参加していないが、このイヌがシベリアに生息していた初期のイヌに似ていたとしたら、比較的大きく、おそらく体重23~27キロほどになっただろうと推測する。「このイヌは私たちのイヌに似た行動をし、寒い環境によく適応し、おそらく狩猟に参加したり、荷物を運んだり、ソリで荷物を引っ張ったりしていたのではないかと思います」と同氏は言う。

英ダラム大学の考古学者アンジェラ・ペリ氏は、「古代アメリカのイヌが欲しいなら、それに最も近いのは、シベリアン・ハスキー、アラスカン・ハスキー、マラミュート、グリーンランド・ドッグです」と言う。なお、同氏は今回の研究には参加していない。

ペリ氏はイヌを十徳ナイフに例える。イヌは歴史の中で、狩人、ボディーガード、警報システム、湯たんぽ、いやし手など、多くの用途に利用されてきた。

民族誌的記録によると、北極圏では、イヌは「人々が極限状態に陥ったときに、毛皮や食料源として利用されていました」とペリ氏は言う。かつて人々がイヌを伴ってアメリカ大陸にやって来たとき、その利用目的は、状況の厳しさによって変わっていったのかもしれない。

イヌの物語は人間の物語

シベリアからアメリカ大陸にやって来たイヌは、その後南北アメリカ大陸に広がり、現地のコヨーテやオオカミと交雑したり、ほかの地域から来たイヌと交雑したりした。

残念ながら、これらの古代犬の遺伝学的系統は、ほんの数百年前にヨーロッパからの植民者が自分たちのイヌを持ち込んだときに殺処分されたか病気をうつされたかして絶滅してしまった。しかし、遺伝学研究と偶然の発見のおかげで、彼らの物語は失われてはいない。今回の最新の発見が示すように、「私たちの倉庫には膨大なデータが眠っています」とアミーン氏は言う。

十分な時間とアラスカの原野での入念な考古学調査によって、人間とイヌが最初にこの地にやってきたときの秘密も明らかになるだろう。

「すべての答えはそこにあり、私たちによって見いだされる日を待っています」とペリ氏は言う。「人間との間でイヌのような関係を結んだ動物は、ほかにいません。イヌの物語は人間の物語です」

(文 ROBIN GEORGE ANDREWS、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2021年2月27日付]

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