自分が慣れ親しんだ味とは違うという感覚は、故郷を離れて暮らした経験がある人なら幾度かは味わうだろう。だがそれがとりわけ強烈だった。「『これじゃない』という違和感センサーが体の中でピピッと働くと、もうだめ」。これはおいしくないとなってしまうのだった。

このモヤモヤ感はどこからくるのか。「静岡の食べ物でないとスイッチが入らない。それが幼少期から形作られた『静岡的身体』に原因があるのだと気づくまでに時間はかからなかった」

ミカンどころ静岡では箱の単位でミカンをごっそり買うのが普通だった。当然、冬になると1日に10個は口に入れた。ミカンの食べ過ぎで手のひらや足の裏が黄色くなるほどだった。だから東京の一人暮らしでもミカンばっかり買って食べた。「とにかくミカンがないと、いられない。自分の体の中の静岡的身体が騒ぎ、ミカンを食べて心を落ち着かせた」

かわいがっている愛犬コロンが登場

くしくも現在、研究者として取り組んでいるのが、身体感覚を軸に人間を理解する身体論だ。裁判官を目指して法学部に入ったが、学部時代に受けた授業で教育問題に関心を抱くようになり「日本の教育を背負っていきたい」と目標を変えた。大学院は教育学専攻を選び、身体を基盤にした教育のあり方を考え続けた。それが「声に出して読む日本語」など数々のベストセラー作品につながった。

人間の価値判断は心に由来すると思っているが実は、身体感覚を基盤にしているとみるのが身体論。「物事を判断する根っこに身体感覚があり、それは環境や風土、その土地の方言によって形成される」。とろろの違和感はまさに原体験だった。

東京に住んで42年がたったが「いまだに食の好みが18歳の頃と変わらない。むしろ50歳を過ぎて年々強くなっていると感じる」。

静岡ではもうそろそろ名物の桜エビの季節だ。桜エビは国内では駿河湾でしか水揚げがない。生で食べてもおいしいし、母親が揚げた天ぷらは格別だった。懐かしい熱々の思い出とともに、またあのザワザワした感覚がよみがえってくる。

【最後の晩餐】 人生最後はスッポン料理で締めくくりたい。沖縄県名護市にある「円山」という店で人生初のスッポン料理を食べたことがある。生き血の「血酒」から始まる本格コース。元気が身体に満ちた気がした。でも最後のつもりが寿命が延びてしまうかもしれない。

名物・安倍川餅の老舗

石部屋の安倍川餅

1804年創業の安倍川餅の老舗、石部屋(せきべや)は斎藤孝さんが子ども時代から通う店だ。「今でも静岡に行くたび安倍川餅を土産に買って帰る」そうだ。メニューは安倍川餅と、からみもちの2種類。からみもちはわさびじょうゆで食べる。いずれも1人前700円。「甘い物を食べれば辛いものも欲しくなる。両方注文するお客さんが多い」と石部屋十五代目の長田満さん。

江戸時代、東海道・安倍川の渡し場の茶屋で売っていた「安倍川餅」は諸国に知れ渡る名産品だった。そのころからずっとのれんを守り続ける店構えは、まるで時代劇に出てくる茶屋のよう。餅ゴメだけを原料に作るので、食べると餅本来のふんわりした食感が広がる。その分、日持ちがしにくく店売りのみ。通販はないから現地に行くしかない。

(木ノ内敏久)

さいとう・たかし 1960年静岡県出身。明治大学教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。シリーズで260万部を超えるベストセラーになった「声に出して読みたい日本語」など著書は多数。近著に「図解 渋沢栄一と『論語と算盤』」(フォレスト出版)。

[NIKKEIプラス1 2021年2月27日付]

エンタメ!連載記事一覧