
その後、新型コロナウイルスの感染拡大をうけ、フィロコフィアは通販の強化に踏み出す。国内だけでなく海外にも目を向け、国の「JAPANブランド」育成の補助金を得て越境EC(電子商取引)のサイト構築に着手した。そこでひらめいたのが「コーヒー文化の輸出」だ。
「海外に豆を売るだけじゃなく、新ドリッパーを生かして文化そのものも発信しようと考えました。幸い、僕の知名度は海外でのほうが高い。今のうちにこれを利用して、ネルドリップの味わいと、ネルのように淹れる時間の演出、スタイルを提案する。いわば、コーヒーを淹れる『楽しさ』も輸出しようじゃないかと」
まず照準を定めるのはアジア諸国。現地のイベントに赴き、ネルと新ドリッパーで深煎りコーヒーの抽出を実演したり。地元の店に新ドリッパーのアンバサダーをお願いしたり。「丁寧に淹れる深煎り」の魅力発信のアイデアは様々に浮かぶ。ただ、コロナ禍で粕谷さんは身動きがとれない。当面は動画での発信を試みながら、HARIOの海外ネットワークに期待をかける。
レトロ喫茶から大規模チェーンまで様々な業態が共存する市場。そこに息づく幾種類もの焙煎や抽出のスタイル――。日本のコーヒー文化は時代とともに多様性を増し、重層的に発展してきた。その豊かさは世界に誇れる。だが、固有の価値を積極的に海外に伝える発想は業界全般に乏しかった。ブルーボトルなど海外の同業者から“発見”されることはあったとしても。

粕谷さんが物静かに、淡々と語る構想を、漠とした夢語りと受け取る人もいるだろう。だが、これは気まぐれな思いつきではない。コーヒーの価値を、国の内外問わず「広く伝えたい」という欲求は、常に胸中にくすぶっていた。
「僕はコーヒーのあらゆることに関わり、コーヒーをあらゆるところに届けたい。そしてコーヒーの本当の価値やおいしさ、産業の実情とかを多くの人に伝えたいんです。一人ひとりの理解が深まれば、日本のコーヒー全体のレベルがきっと上がりますよ」
価値や情報を正確に伝えることで、市場がより良く生まれ変わる、という発想だ。
1984年生まれの粕谷さんは大学院を卒業後、IT(情報技術)コンサルティング会社に就職。3年後に1型糖尿病を発症した。ネットで調べると、コーヒーなら糖尿病でも飲めるという。そこで病院近くのサザコーヒーの店を訪れ、抽出器具一式を購入した。ところが自分で淹れてみると「ものすごくまずかった」。思い通りにいかない。それが興味をかきたてた。
病を得て人生観が変わった。「自分のやりたいことをして生きよう」。英国移住を思い立ち退職。とりあえずカフェで働く技術を身につけようと、実家から通える有名店のコーヒーファクトリー(茨城県つくば市)でアルバイトを始めた。「その時はコーヒーの道に進もうなんて思ってもいませんでした」