熱かんこそ通の日本酒 ふーふーと食べるおでんに合う
いい日本酒は、冷酒で飲むに限る――。そう思っている人は多いのではないだろうか。居酒屋でも、さまざまな日本酒の銘柄が書かれた後に、一言「熱かん」とだけある品書きをよく見かける。おかんする酒は銘柄を問わない酒ですよ、というわけだ。しかし、「かん酒(ざけ)こそ、通の日本酒」と話すのは、東京・西新橋の日本の酒情報館館長、今田周三さん。いったんはまれば、その世界から抜け出せなくなるという。
「近年は、フルーティーで華やかな吟醸香を持つ吟醸酒が人気を集めています。少し甘い香りがして、冷やして飲んだ方が甘さがしまり快感に感じるお酒です。(高精白の)吟醸酒はどちらかというと値段が高いお酒なので、いい酒は冷やした方がおいしいという"常識"が生まれた。だから、『高い酒は冷やして出す』といった誤解があって、かん酒に向く(吟醸造りではない)純米酒でも値段が高いと、『これは冷酒の方がいいですよ』と店で勧められたりする。残念ですね」と今田さんは言う。ちなみに、かん酒好きの中には、吟醸酒をおかんする人もいるそうだ。
そもそも、日本酒を構成する主な酸は、乳酸、コハク酸、リンゴ酸で、特に乳酸、コハク酸が多い。乳酸は冷やしすぎると苦みがでるため室温ぐらいが適温で、コハク酸はさらに温かい温度で生きる酸だという。「コハク酸は、アサリやハマグリなど貝類にも多く含まれる成分で、酸っぱいというよりうまみに近い味がする。ハマグリの汁は温かいとおいしいけれど、冷えると渋さを感じるようになる。それがこの酸の特徴なんです」(今田さん)。つまり、リンゴ酸の多い吟醸酒は別としても、日本酒は、その組成から考えれば温めて飲んだ方がおいしい飲み物というわけだ。
温かなコメがおいしいように、かん酒に向く酒はコメの風味が豊かな純米酒や本醸造酒。また、「1年、できれば1年半ぐらい熟成したお酒の方がやわらかく、口当たりがなめらかになります」と今田さん。新酒はおかんするとかえって荒々しくなるらしい。さらに生もと(自然の乳酸菌で酵母を増やすなど、伝統的で時間がかかる造り方)や山廃(生もとの醸造工程から山卸という工程を省いた製法)といった造り方の酒は、しっかりとした骨格があり、複雑味や幅があるため、かん酒に向くという。
酒を温めて飲むかん酒には、温度帯により呼び名がある。常温の酒はだいたい15~20℃。そこからアルコールの沸点の約78℃までの間で、日向(ひなた)かん(約30℃)、人肌かん(約35℃)、ぬるかん(約40℃)、上(じょう)かん(約45℃)、熱かん(約50℃)、飛び切りかん(55℃以上)と細かく分かれている。
「熱かんとだけ書いてあるお店だと、だいたいとっくりを持って熱い!と感じるような飛び切りかんで出てくる。アルコールの沸点は水より低いので、熱くなればなるほどアルコールが抜けて水っぽくなります。『腰の抜けた酒』という表現があって、これは、お酒自体にもともと腰がない場合のほか、アルコールを飛ばしすぎたので水っぽく腰が砕けたかん酒も指すんです」(今田さん)
もっとも、どの温度帯で飲むかは各人の好み。ただし、食べ物の温度に合わせるのが、かん酒を堪能するための近道だ。例えば、酢の物などの突き出しなら、熱々のかん酒よりもぬるかんの方が合う。一方、ふーふーと言いながら食べるおでんであれば、もっと高い温度帯の酒がいい。「一般的に、軽めだったり、一つひとつの素材をしっかり楽しんだりするような料理にはぬるかん、すき焼きなど味が濃い、温かい料理を食べるときには熱かんがいい。マーボー豆腐のようなスパイシーな料理も熱かんに合います」(同)
今田さんがこよなく愛するのは、"風呂の温度帯"であるぬるかんだ。「お風呂の温度はだいたい41~42℃。人によって多少前後するでしょうが、要するに人間がその中に浸って一番気持ちがいい温度です。ぬるかんは、お風呂と同じで酒と自分が一体化してこのまま死んでもいいぞというぐらいの悦楽」と表情を緩める。ただし、風呂の温度が少しでも自分の好みとずれると気持ちがよいとは感じられなくなるように、ぬるかんの温度帯もちょっとずれると"悦楽"というわけにはいかなくなる。この塩梅(あんばい)が難しい。
酒を温めるには、じか火のように焦がすことなくむらなく加熱でき、温度調節がしやすい湯せんがお薦めだが、「おかんしたとっくりはどんどん冷めていくので、10分も飲まないで置いておくと、中途半端な日向かんぐらいになってしまう。だから、かん酒は1人、2人ですぐ飲み切れる、1合、2合の小さなとっくりなどでつけた方がいい。そして、狙ったより5度ぐらい上の温度にする。ぬるかんを薦めましたが、実は私にとっては上かんが一番いい温度。これだと、ゆっくり飲んでいても、お酒がなくなるまで温度が下がりすぎることがありません」
湯せんする際は、とっくりが半分つかるぐらいの水を鍋に入れ、これが沸騰したら火を止めとっくりを入れる。加熱によって吹きこぼれないようとっくりに入れる酒は9分目程度まで。口にラップをすれば、香りが飛びにくくなる。
一方、かん酒を飲む器は、平はいがお薦め。ぐい飲みとは異なり、一度注いだ酒は飲み切るスタイルの器のため、冷めてしまうことなく酒を楽しめるからだ。
おかんに向く酒の品ぞろえが厚く、"かん酒の聖地"と呼ばれる東京・武蔵関の酒販店「大塚屋」に足を運ぶと、酒蔵や飲食店などのオリジナル平はいがいくつもあった。「おかんにすると、アルコール臭のようなものがもわっと広がりますが、この器だとそうした部分は拡散して、お酒の味を楽しめます」と同店の女将・横山京子さん。
横山さんはさらに、お酒を温めるためのお薦め酒器としてかんどっくりなるものを教えてくれた。外つぼととっくりがセットになっていて、かんつぼに沸騰した湯を入れ、そこにとっくりを入れて温められるようになっている。食卓で温度を調節しながら飲むのにもってこいの酒器だ。「これなら、台所仕事を終えて自分が食卓に着くときにも冷めないんです」と笑顔を見せる。
かんどっくりで60℃以上にカンカンに温めてから冷めてくるところを飲むといいと言う横山さんは、「ためらわず熱くしてください。カンカンにして大丈夫じゃないのはそもそもおかんに向かないお酒」ときっぱり。酒の中には、65℃ぐらいにしても大丈夫なものもあるそうだ。
店にぎっしりと並んだ酒の中から、初心者向きのお酒を選んでもらった。
「初心者には、おいしい温度帯が広い方が楽しみやすい。酒米の王者と言われる山田錦は、バランスがよく、どんな温度帯にも対応しやすいので、かん酒ビギナーにはお薦めです」と横山さんがまず手に取ったのは、神奈川県・泉橋酒造「黒とんぼ 生もと純米酒 山田錦」(もとは、とりへんに元)と福岡県・旭菊(あさひきく)酒造「旭菊 綾花(あやか) 特別純米 瓶囲い 山田錦」だ。
瓶囲いというのは、通常タンクで貯蔵する酒を一斗瓶(一升瓶10本分)で貯蔵する方法。きめの細かい熟成ができるという。「『綾花』はやさしくチャーミングな味わいで冷やで飲んでもおいしいんですが、かんにするとやさしい甘さがでてくる。繊細な味わいなので、ぬるかんがお薦め」(横山さん)
一方、生もと造りの「黒とんぼ」は酒の厚みがあるので、ぬるかんより上かんぐらいの方が隠れた多層的な味わいがでるという。生もと造りの酒では、奈良県・久保本家酒造の「生もとのどぶ」(もとは、とりへんに元)も挙がった。こちらは何とにごり酒。「にごりが入ると味の構成要素が増えて多層的になります。『生もとのどぶ』は熱かんがおいしいですよ」
もう一つ、通向きと教えてもらった酒も生もと造り。大阪・秋鹿酒造の「秋鹿 生もと 純米吟醸 無濾過 原酒 山田錦」(もとは、とりへんに元)で、通称「もへじラベル」と呼ばれる、自営畑でこだわりの無農薬栽培で育てた山田錦を用いた酒だ。
特別な酒で、蔵のトップブランドである。純米吟醸であるこの酒は、「おかんにしなくてもきれいな清涼感がある味わいですが、かん酒にした方がおいしい。きれいな酸があってその中に骨太な味がある。輪郭が崩れないんです。自然な造りをしているので、山菜やジビエなども合います」。かん酒の世界はげに奥深い。
最後に、最も手軽なおかん向きの酒として、カップ酒を選んでもらった。すべて純米酒だ。まずは玉櫻酒造「玉櫻 純米酒 悠々燗々」、太田酒造場「辨天娘 純米 五百万石」、山根酒造場「日置桜 野良カップ 純米」(福ねこラベルワンカップ)。玉櫻酒造は島根、あとは鳥取の酒蔵の酒だ。先に「もへじラベル」を紹介した秋鹿酒造にも「秋鹿 純米バンビカップ」というカップ酒があった。西日本の酒が並んだが、「酒は純米、燗ならなお良し」という言葉を残した著名な鳥取県の酒造技術指導者、故・上原浩さんの影響もあり、「かん酒に向く酒はどちらかというと西のものが多い」(今田さん)という。
純米のカップ酒では珍しい紙カップに入った「悠々燗々」を飲んでみた。昨年、年の末に発売されたもので、330円(税込み)と手ごろな値段もうれしい。紙カップでも、そのまま湯煎にできる作りで、蓋を開けると、あめ色の酒がのぞいた。熟成させた酒なのだ。温めると口当たりがまろやかになり、カップに描かれたクマのイラストや液色と相まって、甘さはないがハチミツのようなコクを感じる。
アルコールは体温に近い温度で吸収される。だから、しばらく時間がたってから酔いが回る冷酒に比べ、かん酒はアルコールが回るのが早く、飲みすぎる心配も少ないと言われる。実際カップ酒一杯でも、すぐにほろ酔い加減となりいい気分になってきた。かん酒の悦楽へ、第一歩だ。
(ライター メレンダ千春)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。
関連企業・業界