田中法政大学教授「コロナ危機はキャリア形成の好機」
田中研之輔法政大学キャリアデザイン学部教授(上)
新型コロナウイルス禍はビジネスパーソンの働き方に大きな影響を与えている。そんな環境下で、個々人はどのように仕事に向き合い、キャリアを積み重ねていけばいいのか。田中研之輔法政大学キャリアデザイン学部教授に聞いた。
新しい時代の幕は開いた
白河桃子さん(以下敬称略) 田中先生は「変化の時代を生き抜く、変幻自在に形成するキャリア=プロティアン・キャリア」を提唱されています。2019年に出版された「プロティアン―70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本術」(日経BP)は、まさに人生100年時代のキャリアの指南書であると感じました。今日は、コロナ禍以降のプロティアン・キャリアについて、私たちはどう考え、何を備えるべきかを伺わせてください。
田中研之輔さん(以下敬称略) ありがとうございます。『プロティアン』を書いた19年夏の時点ではもちろんコロナの襲来は想定していませんでしたが、図らずもより一層、時代に即したメッセージになったと感じているところです。コロナショックにより出社停止になったり、リモートワークが急速に導入されたり、働く時間と空間の縛りが緩められたことで、「個人のキャリアは組織が育ててくれるものではない。自分自身でオーナーシップを持って展開するものだ」と全世代が気づくきっかけを迎えた。これほどの劇的変化は初めてのことで、僕は歴史的転換だと捉えています。20年は、個人にとっても組織にとっても、働き方を根本から見直す1年だったと思います。
白河 私も働き方のパラダイムシフトが起きたと捉えています。これまでキャリアの再開発が必要と言われてきたミドル層だけでなく、その上の層や下の層にとっても、つまり全員にとってキャリアオーナーシップの考えが求められるようになったということですか。
田中 19年時点でも、すでに日本企業は大きな転換を迎えていました。経団連トップやトヨタの社長が続々と「終身雇用は維持できない」と表明したときには、「ついにパンドラの箱が開いたな」と。
白河 あれは大きな転換でしたよね。その時点で、一部の人たちは危機感を持ってキャリア観を変えていきましたが、20年のコロナショックでより広く大勢の人たちが揺さぶられた。内閣府の意識調査が非常に象徴的でした。テレワーク経験者は「ワークライフバランスの意識に変化があった」と答えた人がテレワーク未経験者と比べて2倍多く、職業選択や副業への関心を持った人も2倍近く多かったそうです。やはり経験が人の意識を変えるのだと実感しました。
田中 20年は仕事とは一体なんなのか、あらためて考える1年でしたよね。仕事は「時間と空間の拘束」という我慢を受け入れる対価として給与という経済的リターンをもらうものと考えていた人が多かった。しかし、その前提を揺さぶる歴史的モーメントが3つ起きたわけです。働き方改革、経団連による制度疲労の表明、そしてコロナショックの3つです。まさに政界・経済界・社会の3方向からキャリアの前提が覆った。新しい時代の幕はすでに開いたと僕は見ています。
白河 おそらくコロナが収束したからといって、元には戻らない。不可逆的なパラダイムシフトですよね。「キャリアのオーナーシップは会社任せでなく自分自身でとっていくのだ」という意識を持つ人は、これからも増えていくし、企業もその流れを促進していくのではないかと思います。
田中 僕もいろいろな企業でヒアリングしているのですが、コミュニケーションのオンライン化によって「これまで発言しなかった人が発言し始めた」という変化をよく聞くんです。この変化は非常に大きい。つまり、これまでさまざまな理由で活躍を諦めかけていた人たちが発言権を手に入れた。同時に、これまで「黙っていても、なんとなく存在感を発揮できたベテランシニア層」にとっては、自分の価値を問い直すきっかけにもなっている。
白河 素晴らしいですね。シニア層を活性化して、いわゆる「働かないおじさん」問題の解消の一歩にもなるのでしょうか。
田中 まだ活性化とまではいっていないかもしれませんが、少なくとも「気づいた」ことだけでも大きいと思います。どうやって気づくかというと、在宅勤務をしていても全然連絡が来ないことで「おや?」と感じるそうです。出社して席に座っていればなんとなく仕事をしている感じだったのに、自宅でいくら待っていても上司からの指示や、部下からの相談や報告が来ない。「もしかしたら、自分の業務は、組織にとってそれほど重要な仕事ではなかったのではないか」と不安になる。すると、より積極的に情報を取ろうとしたり、提案したり、といったポジティブな行動へと向いていく。とてもいい変化ですよね。
白河 そういう人でも、今からでも行動すれば、遅くないと言えますか?
田中 全然遅くありませんよ。20年が気づきの1年だとしたら、21年は行動の1年です。ここから何をしていくかが分かれ目です。
女性のライフイベントはキャリアにプラス
白河 シニアもその他の人も、そして活躍を諦めていた女性も、今年を「行動の1年」とするために、まず何から始めたらいいでしょうか。ご著書で紹介されていた「プロティアン・キャリア診断(参照:記事末の診断表)」も参考になりますね。ちなみに私の診断結果は「セミプロティアン人材」でしたので、まだまだ修行が足りません。(笑)
田中 十分ですよ。僕もセミプロです。あの診断はちょっと厳しめに作ってあるんですよ。この診断で何をチェックしているかというと「変化対応力」です。健康診断と同じように、キャリアの変化対応力も定期的にチェックしたほうがいいと思っています。自分のキャリアは自分自身が一番よく理解すべきなのに、なかなか俯瞰(ふかん)して考える機会がない。自分の状態を客観的に理解しないまま、上司の「1on1(ワン・オン・ワン、個人面談)」を受けるから、会社の要望とのすり合わせに偏って、今の自分にとって何を大事にすべきかという本質的な思考ができずに「キャリア迷子」になってしまう。
白河 みんな、自分で自分を見つめる時間をもっと持つべきなんですね。
田中 はい、一部のエリートだけではなく、すべての人がやるべきです。長寿時代の到来で働く期間が長くなるということは、希望もあるけれど苦しさを伴うとも言えるわけです。長く付き合う自分のキャリアについて、主体的にマネジメントしていく意識を持たなければいけません。多くの人がキャリア迷子になってしまう理由は、単一のロールモデルに縛られているからです。先ほど述べた3つの劇的変化によって、キャリアの多様化は加速しています。
白河 個人の意識転換だけでなく、会社も変わるべきだと思います。私は常々、「女性活躍のために研修の数だけ増やして、女性たちに『頑張れ』というだけでは何も変わらない」と言っています。
田中 女性活躍に関して言えば、そもそも女性特有のライフイベントである出産や育児を「キャリアにとってマイナス」と考えること自体が間違っていると思います。キャリアはさまざまな経験を蓄積することで厚みを増す「資本」だと考えれば、出産・育児の経験もその人のパフォーマンスを増幅させる豊かな経験であるはずなのです。つまり、育休はブランクやブレーキではなく、普段の会社業務ではたまらない資本をためられる期間であると捉える。個人はもちろん会社側もその理解に立つことで、活躍できる女性は飛躍的に増えるはずです。
異なる属性の人とのネットワークをつくる
白河 キャリアを資本でとらえるという考え方には膝を打ちました。ご著書によると、キャリア資本を構成するには「ビジネス資本」「社会関係資本」「経済資本」の3つが必要で、それぞれを棚卸しし、バランスよく補強していく行動が大事だと。例えば、田中先生にとってのビジネス資本の補強とはどんな行動になるのでしょうか。
(1)ビジネス資本──スキル、語学、プログラミング、資格、学歴、職歴などの資本
(2)社会関係資本──職場、友人、地域などでの持続的なネットワークによる資本
(3)経済資本──金銭、資産、財産、株式、不動産などの経済的な資本
田中 僕の場合は、米国留学から戻って大学で職を得たときに研究者として本を執筆する実績をビジネス資本としてためていこうと決めました。毎年1冊は本を出すことを自分に課し、守り続けているんです。実績が着実にたまることで、心理的な安心や納得感になり、新たな挑戦ができます。同時に、外へとネットワークを積極的に広げて、社会関係資本も築いています。大学関係者との付き合いは最小限にして、できるだけ外へ外へ。なぜなら同質性の高い関係性の中に閉じこもっているだけでは社会関係資本はたまらないからです。イキイキと活躍している人の共通点は、異なる属性の人たちとのネットワークを積極的につくっていること。ビジネス資本と社会関係資本を掛け合わせていくと、いつの間にか経済資本に転換される。そんなイメージです。
白河 つまり、「稼げる力」へと発展していく。
田中 そうです。年収を上げる方法の一つとしてまず浮かぶのが「転職」かもしれませんが、それは一時的な選択に過ぎません。大事なのは、ビジネス資本と社会関係資本をためる行動を重ねていくこと。その結果、必ず経済的なリターンはある。「必ず」と言い切っていいです。では、それぞれをどうやってためるのか。ビジネス資本は、自分の仕事の価値をとがらせていくことでたまっていく。差別化といってもいいですね。人とは違うちょっとした価値を磨いていく。得意なことを複数掛け合わせるだけで、十分に差別化は可能です。社会関係資本をためる方法は、ソーシャルネットワークも活用して、どんどん新たな出会いをつくることです。本業だけでは得られない気づきや学びを得られる場を見つけていくイメージで。
白河 社会関係資本を磨く時間には、家庭や地域との関わりも含まれますか。
田中 もちろんです。
白河 それはうれしい回答ですね。一般的にキャリア論は仕事の軸だけで語られることが多いのですが、プロティアンはライフも含めて全部の経験をキャリア資本に取り込めるとなっている。女性は勇気づけられますし、あるいは「これまで社会関係資本をちゃんとためてこなかったな」と反省した男性たちも、例えば子育てを通じて地域との関係を築くこともキャリア資本の増強につながる。コロナ禍ではすでにさまざまな変化が生まれているようにも思います。
田中 一つの組織に自分の可能性を閉じ込めない意識がとても重要です。副業推進の流れも追い風になっています。他社で副業しなくても「社内副業・兼業」もいいですね。一つの会社でも部署によってカルチャーは多様ですから、他部署のプロジェクトで公募があれば積極的に手を挙げてみる。大阪支社に在籍しながら、オンラインで本社部門の会議に出席するとか。こういった経験ができれば、組織における自分の役割や貢献の仕方もよりクリアに見えてきます。「社員にキャリアオーナーシップを持たせると、離職してしまうのでは」というのも杞憂(きゆう)です。むしろ逆の現象が起きるはずですよ。もちろん、一部の流動はあるかもしれませんが、それは必然であり、だからといって何も手を打たないのはミドルシニア層の危機をますます深刻化させるだけです。
以下、来週公開の後編に続く。後編ではシニアのキャリア資本の生かし方、キャリア開発における個人と企業の役割などを伺います。
昭和女子大学客員教授、相模女子大学大学院特任教授。東京生まれ、慶応義塾大学文学部卒業。商社、証券会社勤務などを経て2000年ごろから執筆生活に入る。内閣官房「働き方改革実現会議」有識者議員、内閣府男女局「男女共同参画会議専門調査会」専門委員などを務める。著書に「御社の働き方改革、ここが間違ってます!残業削減で伸びるすごい会社」(PHP新書)、「ハラスメントの境界線」(中公新書ラクレ)など。
(文:宮本恵理子、写真:吉村永)
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