日本は高度成長、巨大化を是とした近代的な都市づくりを推し進めてきました。一方で、大阪万博の頃には公害問題など成長のひずみも浮き彫りになっていました。いつまでもイケイケでいいのか、もっと自然と共生したイケイケとは逆の建物はつくれないのだろうか、という思いがフツフツとわいてきました。

緑の豊かな栄光で学んできた私は、コンクリートジャングルに対する嫌悪感が人一倍強かったのかもしれません。栄光では海の自然にも触れあう機会がありました。三浦半島の油壺の近くに「海の家」がありました。人里離れた小さな入り江にカマボコ兵舎のような建物があったのです。自然に溶け込んだ味わいのある朽ちかけた小屋の中で、夏になると、生徒たちは雑魚寝し、水泳をするのです。夜にも遠泳しますが、その光景は感動的で今も心に残っています。その後、この小屋はコンクリート造りの近代的な建築に建て替えられました。がくぜんとしました。

栄光を卒業して東京大学の理科1類に入学した。

「豊かな自然に囲まれ、外国人の神父から様々な教えを受けたことは大きな財産になった」と語る

当時、栄光の1学年は170~180人程度だったと思いますが、約3分の1が東大に進みました。2年生の時に丹下健三さんなどの著名な建築家を輩出した建築学科を志望しましたが、当時は工学部で一番人気の学科。大学受験の時以上に勉強に励み、東大建築学科の門をたたきました。

その頃までは空前の建築ブームだったのですが、1973年のオイルショックの影響を受け、急速に人気が下がりました。いよいよ低成長時代が到来したのです。公共の巨大建造物は「環境破壊だ」「税金の無駄遣い」と批判される対象になりました。丹下さんや黒川さんとは正反対のタイプだった原広司先生(現在は東大名誉教授)の門下生となりました。

原先生は、世界の辺境の地を歩き、集落の調査を実施して、自らの建築に生かしていました。自然を圧倒するような建造物を建てるという発想ではなく、周辺の環境との調和を重視していました。大学院時代にアフリカのサハラ砂漠で、原先生と集落調査に出かけました。1カ月以上にわたり、過酷なサハラを旅し、村々を訪ねました。砂漠は「生と死」の世界、危険な旅行でしたが、その風景は心に強く刻まれました。

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