「当社はもともと家族経営でしたが、1994年に株式を公開しました。母と弟は『家族で仲良くやればいい』と反対しましたが、私は株式公開して株式売却益を得ることが、社会からの報酬に当たると考えました。株式公開が社会貢献を目指す一つのきっかけになったと感じています」

社長就任時のパーティーで(右が野島氏、左が会長となった母親)

――もともと実家の電器店、野島電気商会(現ノジマ)を継ぐつもりだったのですか。

「継ごうとは全く考えていませんでした。自営業を始めた父や、家族のあり方が嫌だったんです。父が会社を辞めて家電店を始めた小学3年までは、とてもかわいがってもらった記憶もありますし、両親の仲もとても良かったのです。しかし、家電店を始めてから父は何かと忙しくなり、私との関係もだんだん遠くなりました。会社勤めだったころの父が好きで、小学6年のときには作文に『サラリーマンになりたい』と書いたほどです」

「中学生になると店を手伝わされました。高校に入ると、父が借金してビルを建てました。それもあってか私が高校生、大学生のころは、アルバイトなどで店の仕事を手伝ってもらうために友人を連れて来るのが私の役割でした。とても嫌で、父とよくケンカをしました」

会社を継ぐしかないと決意

「父は私が大学生のときに家を離れ、母が会社を切り盛りするようになりました。すると売り上げも伸び悩み、20人ほどいた従業員もどんどん辞めていきました。私が大学を卒業した73年には社員2人、アルバイト2人だけになっていました。当時は自己破産なんて考えられなかった時代で、店を構えていた相模原市が母の地元だったこともあり、会社を継ぐしかないと心を決めました」

「会社に入って気づいたのは、まず商品を売らないと仕事が何も回らないということです。入社してからほぼ10年間、会社で一番販売しましたし、一番掃除もしたと自負しています。管理や宣伝広告も一生懸命勉強しました。その10年間が自分の基礎を築いたと思っています」

――どのように会社を成長させたのですか。

「オーディオ機器の販売に力を入れて、特色を出しました。田舎の住宅地という立地ですが、お客さまの話をじっくり聞いて、要望があれば当社が取り扱っていない商品も取り寄せました。すると『ノジマに行けばいい品物を選んでくれる』と口コミが広がり、売り上げが伸びたのです」

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嫌なときほど、うれしそうな顔をしろ
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