気候変動、外来種…経済だけではない米・五大湖の危機
米ミネソタ州、ウィスコンシン州、ミシガン州、オハイオ州、ペンシルベニア州――いわゆる「ラストベルト(さびた工業地帯)」であり、今秋の米大統領選で激しく候補者が争った地だ。実は上記の州にはもう一つ共通することがある。いわゆる北米の五大湖を臨む州なのだ。ナショナル ジオグラフィック12月号では、近年、気候変動や汚染、外来種に脅かされる五大湖の危機に迫っている。
◇ ◇ ◇
五大湖は、北米の地表にある淡水の84%をたたえ、淡水の水系では世界最大の規模を誇る。
スペリオル湖、ヒューロン湖、ミシガン湖、エリー湖、オンタリオ湖から成る五大湖は、石油や天然ガス、石炭とは比べものにならないほど大きな価値をもつ、北米大陸の最も貴重な天然資源と言っていい。
北米大陸にある大規模な地形のなかで、五大湖は比較的新しく登場した「新入り」だ。この湖群は、北米で厚さ何キロもの氷河が今の米国カンザス州南部から北極まで延びていた最終氷期の置き土産なのである。1万1000年前に氷河が後退し始めると、氷河の浸食作用で形成された盆地に水がたまり、五大湖が生まれた。
五つの湖の水の総量は2万3000立方キロメートル近くあり、世界の地表にある淡水の20%以上、北米大陸の地表淡水の84%を占める。
米国人とカナダ人合わせて、ほぼ4000万人が五大湖流域で暮らす。五大湖の水を飲み、五大湖で魚を捕り、五大湖を経由して物資を運び、湖岸で農業を営んでいる。この地域の人々が働く都市も、五大湖がなければ存在しなかっただろう。そして言うまでもなく、人間の活動は汚染をもたらす。人間が持ち込んだ外来種は五大湖の生態系を恒久的に変えた。さらには、今も続く温暖化ガスの排出で天候まで変わり、五大湖流域の広大な一帯がたびたび激しい嵐に見舞われるようになった。
スペリオル湖岸でオンタリオ州サンダーベイに次いで2番目に大きな都市、人口8万6000人のダルースは、「500年に1度の大嵐」といわれた2012年の嵐をはじめ、この8年間で激しい嵐に次々と襲われた。まだ復興の道半ばにある。工事を監督するマイケル・ルボーが湖岸地域を案内してくれた。2018年、水位が高かった湖に猛烈な嵐が3度も襲来し、広範囲にわたって洪水の被害を受けた地域だ。
2016年には嵐で上水道施設が停電し、街があと数時間で断水する事態となった。中心部に面した湖岸を、ルボーは心配そうに見た。そこでは、近くの採石場から運ばれた6万9000トンの石を使って護岸工事が行われている。「採石場の石はすでにあらかた採り尽くしたと聞いています。過去3回の大嵐で3000万ドル(約32億円)近い工費を使う羽目になりました。財政に余裕のない小さな都市にとっては大打撃です。今は予算が許す限り良い施設を建設しようとしていますが、今後もこうした嵐が繰り返されるか、もっと激しくなるかもしれません。そうしたら、元の生活には戻れないでしょう。でも誰もそれをわかってくれません」
今後は、都市に大打撃を与える嵐が毎年のように襲来し、多額の費用負担を強いられる事態が予想される。大気の上層を西から東に吹くジェット気流が、地球温暖化に伴って不安定化している。ジェット気流を駆動する中緯度地方と高緯度地方の気温の差が縮まり、気流が弱まっているのだ。
緑色に染まる湖
変化は五大湖流域の全域で起きている。
海洋を航行する船舶が外から持ち込む二枚貝、イガイは大きな脅威だ。イガイの侵入でこの35年間にエリー湖の珪藻(けいそう)の個体数は90%減った。アフリカのサバンナの草が、これほど減ったら世界中のメディアが大々的に取り上げると思うが、エリー湖の珪藻の激減はあまり注目されていない。
珪藻は湖水中にも酸素を供給し、珪藻がいなければ、湖は酸欠状態になる。珪藻は湖の食物連鎖を最下層で支える生き物でもある。つまり、珪藻が元気なら、湖のあらゆる生き物が元気、ということだ。
ダルースから900キロ南東、米国オハイオ州トリードに近いエリー湖岸にあるモーミー・ベイ州立公園のビーチでは、夏空の下、数人の女性たちが標識の周りに集まっていた。そこにはこう書かれていた。「危険 湖水には絶対に触れないでください。安全基準を超える藻類の毒素が検出されました」
厄介なのは、地球上のほぼすべての湖や川、海に太古の時代からすむシアノバクテリア(藍藻)だ。水が温かく、汚染されていれば、爆発的に増殖して水面を覆う。その死骸が分解されるときに水中の酸素が消費されるため、湖の広い範囲が酸欠の「死の世界」になる。
湖の水質を改善するための保全努力が逆効果になっていることも分かった。1990年代にエリー湖流域の多くの農家が「不耕起栽培」を始めた。毎年春に畑に肥料をすき込むのではなく、ペレット状の肥料を土の上にまくのだ。土を耕す農家が減ったおかげで、表土の流出は減った。想定外だったのは、藻類の栄養となるリンの流出が増えたことだ。ペレット状の肥料は深さ5センチほどの表層にあるため、降雨で土壌中の水分が飽和状態になると、リンが溶けた水が湖に流れ込むのだ。
エリー湖にリンを流出させた春の豪雨のせいで、この地方の畑では2019年春の作付けが遅れた。農機が使える程度に土が乾くまで何週間も待たなければならなかったからだ。
ミシガン湖周辺でも同じような状況だ。湖岸から20キロほど東にある町、ミシガン州ハートフォードで農業を営む26歳のケーレブ・コルバーグは、「今年(2019年)作付けされなかった畑の面積は過去最大でしょう」と話していた。大半の農家は農地の4分の1程度の作付けを断念したという。
(文 ティム・フォルジャー、写真 キース・ラジンスキー、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2020年12月号の記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。