俳優・松重豊 小説+エッセー、初の著書に込めた思い

初主演ドラマ『孤独のグルメ』が、シリーズ8まで続くほど大人気となったオーバー50俳優・松重豊。初の著書となる『空洞のなかみ』は、小説とエッセーからなる2段構えの作品集だ。

まつしげ・ゆたか 1963年、長崎県生まれ。明大卒業後に蜷川スタジオに入団。映画「しゃべれども しゃべれども」で毎日映画コンクール助演男優賞を受賞するなど名バイプレイヤーとして知られる。ドラマ初主演は2012年の「孤独のグルメ」(テレ東系)、映画初主演は19年の「ヒキタさん! ご懐妊ですよ」。FMヨコハマ「深夜の音楽食堂」でラジオ・パーソナリティーも。

ひねりの効いた展開が待ち受ける12編の短編。創作に至った経緯を「エッセー集を書籍化する話になったときに、1冊の本として成立させるためにトークか何かを足したほうがいいかという話になりまして」と語る。何を足すかを決め切れぬうちに世間はステイホーム期間に突入した。

「暇なヤツが小説を書いて出版するラッシュになるだろうと思ったので、『急いで書かないと!』と書き始めました」とニヤリ。

まず1編「マラソンの伴走者なのに最後まで走り切ってしまう人の話」を書いたところ、妄想を形にするのは書きやすかったという。「エンタテインメントとしても面白いんじゃないか?」と、引き続き書くことにして連作小説が出来上がった。

「この作品を1編ずつ朗読する予定です。ミュージシャンをつけて、ユーチューブでアップしていくんです」と、小説の2次展開を力説する。「小説は、初めて自分が手にした著作権です。俳優として関わる作品には常に原作者や脚本家、監督がいます。自分がすべて決めていい初めての感覚。特権を味わっています!」と声を弾ませる。

『空洞のなかみ』 自身の役を演じながら探っていく役者を描く「愚者譫言」(ぐしゃのうわごと)。常に刑事かヤクザの役の台本がかばんに入る俳優の日々や、食事などのエピソードが記されるエッセー「演者戯言」(えんじゃのざれごと)。この2部から成る作品集。前半で描かれた小説のモチーフや着想が、後半のエッセーで浮かび上がるのも面白い。発売中。毎日新聞出版/税別1500円

松重が挑戦を重ねる背景には、コロナで大打撃を受けた演劇界の実情がある。「劇場という僕らにとっての聖域を奪われました。違うことに挑戦して『こっちにもおいでよ』と同業者に言いたい思いもあります」

俳優という自身の職業を「ただの入れ物だと思っています。脚本家が書いたセリフや監督の指示を、からっぽの器に入れていく。自分発信が極めて少ない芸なんですよ、俳優業って」と涼やかに笑う。本書のタイトル「空洞のなかみ」にはその思いも込められている。

一方で、30年以上の俳優生活を通じて言葉への感覚も鍛え上げられてきた。言葉遊びは好き、というその目は輝いている。その経験が如実に表れているのが、後半に収められているエッセーのタイトルだ。「設定を変えてしまうほどに自白に影響を与える食べ物の存在」「沈黙するポテチ片手の羊たちその記念写真が手許(てもと)に無い件」など、一定の文字数に独特のリズム感を持たせつつ情景や情感を浮かび上がらせる。そこには、小説のモチーフや描き方同様に、松重らしい言葉遣いが生きている。

「結局は、現場の稼働や劇場がないという現実感と向き合った2カ月間で、自分の中から出てきた演者の思いなんです。57歳で初の著作なんて、白髪のおじさんがみっともないこと始めたなと思ってもらっていい。時間があってやりたいと思えることがあったら、とりあえず始めてみればいいですよね」

ベテラン俳優の初著作には、後進へのエールも込められている。

(日経エンタテインメント!11月号の記事を再構成 文/土田みき 写真/鈴木芳果 スタイリング/増井芳江 ヘアメイク/林裕子)

[日経MJ2020年11月6日付]

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