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古代「史記」 偉人の出世学

2020/11/8

古代「史記」 偉人の出世学

私もサラリーマン時代、表ではにこやかに接しながら、裏でとんでもないことをたくらんでいる人に出会ったことがありました。生意気にも、かわいそうに疲れるだろうな、などと感じたものです。ただ、そういう人が多くいたことに気づいたのは、ずっと後になってからです。

しばらく後、予譲は趙襄子の外出時を見計らい、橋の下で待ち伏せました。趙襄子が橋に差しかかった史記の場面は実に印象的です。
  馬驚く。
 乗っていた馬が驚いた――。原文の漢字でわずか2字。この記述が限りない迫力を感じさせます。趙襄子よりも先に馬が殺気を感じていななき、動かなくなってしまったというのです。
 趙襄子は「予譲が潜んでいるに違いない」と語り、周囲に調べさせると、姿を変えた予譲が現れます。趙襄子は予譲を責めました。「あなたはかつて范氏や中行氏に仕えたのに、彼らを滅ぼした智伯には復讐(ふくしゅう)せず、その家臣となった。その智伯もすでに死んだ。なぜこれほど執拗にあだ討ちにこだわるのか」
 予譲は答えました。「范氏や中行氏は家臣のひとりとしてのみ私を扱ったので、私もその限りで仕事をした。智伯は私を国士(国に必要とされ、国のために尽くす人物)として遇してくれた。だから私は国士として報いなければならない」
 趙襄子はここで区切りをつけます。「あなたが智伯のためにしたことは世の評判となっている。もう十分であろう。私が再び許すことはない」。そう涙を浮かべて語ると、兵が予譲を囲みました。予譲は言います。
  臣聞く、明主は人の美を掩(おほ)はずして、忠臣は名に死するの義ありと。
 優れた君主は人の美しい行いを顕彰し、忠臣は節義のために身命をなげうつものと聞いています――。予譲は趙襄子を「明主」であると認め「きょう成敗されることは覚悟しております」と告げたうえで最後のお願いをします。「あなた様の衣をいただき、それを撃つことで復讐に代えれば、死んでも恨むことはありません。かなわぬこととは思いますが正直に申しました」
 趙襄子は自分の衣を予譲に与えます。予譲は剣を抜き、躍り上がって三度それを撃つと「これで地下の智伯に会うことができる」と、自ら白刃に伏して命を絶ちました。その日、国の志士たちはみんな涙を流したと記されています。
イラスト・青柳ちか

根源的な問題ですが、予譲が趙襄子を殺す気がどこまであったのか、私は大いに疑問を感じています。自分を厚く遇してくれた智伯に報いないわけにはいかないと思いながら、趙襄子があまりに立派な人物であることも知り、そこに折り合いをつけたのだと思います。

目標を達することがなかった予譲ですが、その死をだれもが悼んだのはなぜでしょうか。司馬遷が彼を取り上げた理由も、あだ討ちの成否とは別のところにあったように思うのです。

結果そのもので評価される目標だけでなく、自分が生きる目的を考え、ハッキリ自覚した予譲の人生は幸せなものと言えるかもしれません。苦しく、ときに惨めかもしれませんが、決して不幸ではなかったと思われます。以前にふれた伍子胥(「すごい男の『日暮れて道遠し』 史記が描く充実の生涯」参照)と同じく、充実した人生であったような気がするのです。

吉岡和夫
1939年(昭和14年)千葉県生まれ。横浜国大経済卒。東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)に30年間勤務。書家の古谷蒼韻氏に師事。雅号は「泰山」。中国「司馬遷史記博物館」(2016年開館)の顧問も務める。著書に『史記を書く』(1996年)、『毒舌と名言の人間学』(2005年)など。名古屋市在住。

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