外交の基本、子育てに通じる 中谷好江さん
駐パラグアイ大使(折れないキャリア)
11月、パラグアイ大使として赴任する。経済協力開発機構(OECD)東京センター所長を務めたほか、外務省漁業室長として日本の商業捕鯨再開に向け国際社会で一定の理解を得た実績などを評価された。
実家は広島の果物店。「海外に行ったことがある人なんて周りにいない普通の家」で育った。客室乗務員のドラマをきっかけに世界への憧れが芽生える。在日米軍向けラジオ放送を聞き、語学や文化を吸収した。
外務省に入ったのは「国益のために仕事できる」と考えたからだ。20代で日米貿易摩擦交渉の一線に立ち、1996年には在ペルー日本大使公邸占拠事件で現地の報道対応を担った。達成感を与えてくれる仕事に全力を注ぐつもりでいたが、「キザな夫」に出会い、33歳で結婚。35歳で長女、40歳で次女を出産した。
私生活との両立は平たんではなかった。子育てと介護が重なったときは広島と東京を往復し、倒れる寸前だった。父の葬式の日も中南米との外交式典の打ち合わせを合間にしていた。誕生日に何が欲しいか娘に聞かれたときは「1人の時間と答えた」という。
辞めようか迷ったことが1度だけある。小学生の次女が不登校になったとき「家にいれば、いつでも娘をぎゅっと抱きしめてあげられると思った」。だが、お母さんが自分のために辞めた、という負い目を背負わせるのも忍びない。そこで、当時勤めていたOECDの半日リモートワークの制度を活用したり、パリ出張に連れて行ったりし、できるだけそばでケアできる環境を整え乗り切った。
ママ友に支えられ、自治体の子育て支援も最大限活用した。同期や後輩の男性は在外公館に赴任していたが、羨ましくはなかった。「成長する娘たちのそばにいたい」という気持ちは揺るがなかったからだ。
子育ては「最高の成長機会」と感じている。話の通じない相手にいかに自分の意思を伝え、解決するか。外交の基本でもある。今、外務省の新人は半分以上が女性だ。家庭と仕事との両立に悩むこともあるかもしれないが「頑張っていると誰かが目をかけていてくれる。夢は必ずかなう」とエールを送る。
まもなく南米に単身赴任する。刷り立ての名刺が詰まった名刺入れは、娘たちが贈ってくれた宝物だ。
(聞き手は佐々木たくみ)
[日本経済新聞朝刊2020年10月26日付]
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