ジョンと出会った個展、「想像」がつないだ2人の運命

ヨーコさんとジョンが出会ったインディカ・ギャラリーを再現(左手奥から順番に「釘を打つための絵」「天井の絵」「アップル」)

ジョンとの最初の出会いも感動的だ。父方の祖父が日本興業銀行総裁、母方の曽祖父が安田財閥の創業者という家柄に生まれたヨーコさんと、英国の港町リバプールの労働者階級に生まれたジョンが初めて出会ったのが66年11月のロンドンのインディカ・ギャラリーだった。

前衛芸術家のヨーコさんはそこで個展を開いていた。ジョンはギャラリーのオーナーに誘われて、オープニング前日の内覧会を見に訪れる。ジョンがまず関心を示したのが「アップル」という作品。台の上に実物のリンゴが展示され、来場者は200ポンドを払い、そのリンゴが朽ちてゆく様子を観察するという趣向だった。

法外な値段が付けられていることにユーモアを感じたジョンは、称賛の意味を込めて、リンゴを手に取って一口かじり、ヨーコさんにニッコリと笑いかけた。続いてジョンの目に入ったのが「釘(くぎ)を打つための絵」。白い木の板に来場者がくぎを1本ずつ打つことで作品を完成させてゆくという仕掛けだ。ジョンがくぎを打っていいかと尋ねると、ヨーコさんは1本5シリング払うならば打ってもいいと伝える。するとジョンは「では僕が想像の5シリングを払うから、想像のくぎを打ってもいいかい」とさらに聞き返したそうだ。

「ビートルズのことをよく知らず、関心もなかった」というヨーコさんは「自分と同じ次元のゲームができる相手と巡り合ったと感じた」という。最初に出会った時点で、すでに2人が後の「イマジン」につながる「想像」のコミュニケーションをしていたことは興味深い。

さらに2人の関係を決定づけたのが「天井の絵」。はしごに登って虫眼鏡で天井の額縁をのぞき込むという作品で、そこには小さな「YES」という文字が書かれていた。ジョンは「前衛芸術にありがちな『拒絶』ではなく、『肯定』だったから僕は心が救われた気がしたんだ」と感銘を受けたという。これをきっかけに2人の人生が重なり合ってゆく。

親子水入らずのひととき、「いつか空の上でジョンと一緒に」

日本を家族旅行したジョン、ヨーコさん、ショーン(1977年夏、Photo by Nishi F. Saimaru (C)Yoko Ono)

ヨーコさんとジョンと息子ショーンが来日して親子水入らずでくつろぐオフショット写真も楽しい。「専業主夫宣言」をしていたジョンが子育てに使った抱っこひもや日本語を練習していたスケッチブックなどプライベートな品々も展示されている。

ジョンを失って以後、最愛の息子ショーンはかけがえのない存在となった。

「父親のジョンが亡くなって、ショーンには本当に悪いことをしてしまった。だって、私が死んだら、息子は親無し子になってしまうから」。こうつぶやいたヨーコさんは、キッパリとした口調でさらにこう付け加えた。「でも、私にはどうしてもやらなきゃいけないことがあるの。それはジョンと一緒に見続けてきた夢……。たとえ私が死んでも、いつか空の上でジョンと一緒になれると信じて、命が続く限りずっと活動を続けてゆきたい」。夫として、同志として、心の中で生きるジョンと最後まで歩みをともにする覚悟のように見えた。

(編集委員 小林明)