フリーアナウンサー・大橋未歩さん 衝突し深まった絆

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はフリーアナウンサーの大橋未歩さんだ。
――お父さんはかなり厳しかったとか。
「食事中、箸の持ち方が変だと箸の柄で頭をたたかれました。手首のスナップがきいていて痛いんですよ。食べ物を残すのもだめ。2つ年下の弟なんて、無理して食べてよく吐いていました。いとこや友達にも厳しいものだから、みんな足が遠のきました」
「父には胸ぐらをつかまれてソファに投げ飛ばされたこともあります。私が反抗期の高校生のころで、母に対して『あんた』と呼んだとき、その言葉遣いは許さない、と」
――激しい反抗期ですね。
「私が母の大事なつぼを割ったり、父が私のポケベルを壊したり。弟は中学からアメフト部でずっと日本一。両親の視線がすべて弟に向いているように思えて、劣等感や寂しさが怒りと嫉妬に変わったんだと思います」
――関係が変わったのはいつごろ?
「大学受験に失敗した後、父に『浪人させてください』と頭を下げました。3年ぶりくらいに目を見て話しました。頑張って勉強して大学に入り、アナウンサー試験に合格して、という過程で少しずつ話すようになりましたね」
――アナウンサー試験を受けるときに反対は?
「宝くじに当たるようなものだからやめておけ、と父に言われました。心配だったんでしょうね。小さいころ、両親が外出するときは私と弟も必ず一緒で、留守番したことはなかったです。愛情の裏返しの心配性なんですよ。だから反対したんでしょう」
――7年前の脳梗塞発症時には心配されたのでは。
「それが東京の病院に入院中『来る?』とメールしたら母は『ステンドグラス教室があるから行けない』。父はペットの犬が宝物なので家をあけられない、と。薄情と思われるかもしれませんが、あっけらかんとした様子にかえって救われました。両親が悲しんでいたら、罪悪感が膨らんでしまいますから」
「神戸の実家で療養中、母から料理を教わったんです。昔から母は色彩豊かに食卓を整えてくれていたんですよ。いかなごのくぎ煮など、母の得意料理を一緒に作りました。初めて親子でゆったりとした時間を持てましたね」
――親の言葉で印象深いのは。
「『続けている限り、負けはない』と父に言われたことがあるんです。退社後、アナウンサーを続けたいと思った理由の一つに、父のその言葉があります。細々とでもいいから土俵に立ち続けたいと思っています」
――今はどんなやりとりを?
「先日は父から大型バイクの模型の写真が何枚も送られてきました。家族の仲は良いです。反抗期でとことんぶつかり、大変な時を一緒に乗り越えてきたからこそですね」
[日本経済新聞夕刊2020年10月6日付]
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