語り口も三者三様、望まれる「肉声」
同じ政治家一族の安倍氏が政権後半には「1強」と評され、国民が距離を感じていたことも、世襲政治家の2人には逆風となった。「安倍ちゃんよりは普通の感覚の人」を望む意識を察知した自民党有力者が「庶民寄り」の候補として菅氏を擁立したのは、イメージ戦略として正解だったともいえる。歴史的な長期政権に飽きがくるのは当たり前で、「世襲」「お坊ちゃま」からのずらしを狙うイメージ戦略は結果的に石破、岸田の両候補を遠ざける選択へつながった。
非言語の側面から、3人の違いをみてきたが、最後に言葉遣いやしゃべり方にも触れておこう。菅氏のしゃべりは必ずしも弁舌さわやかではない。どちらかといえば、訥々(とつとつ)とした感じだ。でも、その分、本人の言葉として響きやすい。飾らない人柄もほのかに伝わる。
一方、石破氏は持論をじっくり語る。筋が通っていて、説得力はある。半面、ややねっちりした語り口で、「言いくるめてやろう」という戦略性が透けてみえるところがある。意識的に抑えたトーンで、かなりの低速で語りかける口調は、持論を相手の耳に流し込むかのような雰囲気を帯びる。練り上げられた物言いはかえって聞き手との間に「先生と弟子」のような関係を生んでしまいそうだ。
岸田氏は石破氏よりは軽快に話す。発声に濁りやよどみは少なく、ハキハキといった感じだ。その分、官僚的で型通りといった印象を与えやすい。切れ味がよい分、人を動かす情念のエネルギーを感じにくいところもある。「常に答えが用意されている」といった雰囲気すら醸し出す、そつのない受け答えは、その人ならではの人間味を伝えるのには不向きだ。今回のような場面では「線が細い」「頼りがいを感じにくい」といったマイナス評価につながったかもしれない。
菅氏は必ずしも言葉の表現が巧みではない。立て板に水の答弁や、とうとうと語る演説のイメージは薄い。しかし、過去の官房長官会見をみる限り、基本線は発表用ペーパーに沿いながらも、折に触れて自分の言葉を選んでいる。官僚の言いなりにならない態度でも知られるだけに、透明なパネルに文字を映し出すプロンプターを多用した安倍氏よりも、菅政権では首相の「肉声」が聞けるかもしれない。
かつて小渕恵三氏は首相在任中、自らの発信力を卑下して「ボキャ貧」と述べ、1998年の新語・流行語大賞で特別賞を受けている。スマートなしゃべりで知られた前任首相の橋本龍太郎氏と比べての言葉といわれるが、これ自体、なかなかの造語センスを感じさせる。くしくも小渕氏は官房長官時代に平成の元号を発表して「平成おじさん」と呼ばれ、後に首相の座を射止めた。どこか菅首相に通じるところがある。
だが、菅氏は言葉以外の表現で、勝負師のすごみをみせることがある。たとえば、3候補をそろえて政策の違いを検証した経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」では、将来的な消費税引き上げに関して、「〇」の札を挙げて、一人だけ前向きな姿勢を示した。残りの2候補はそろって「△」と判断を留保。菅氏の「〇」は、世界を駆け巡る大ニュースになった。後から「あくまでも先々の話」とトーンダウンしたものの、あの場で、誰もが「無難で△で一致するはず」と見込んでいたところに、まさかの「〇」。横並びを避けて、あえてリスクを取りにいく姿勢は責任を負うリーダー像を印象づけた。
穏やかな雰囲気の裏に、骨っぽさを併せ持つ菅首相が安倍政権の方向性を継承しつつ、どんな「地声」を発していくのか、そして「女房役」から主役へのイメージ転換をどう進めていくのか。新政権はリーダーの「見せ方・見られ方」を知るうえでも、見どころが多そうだ。
※「 梶原しげるの「しゃべりテク」」は毎月第2、4木曜掲載です。
