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山本寛斎、D・ボウイとの共演を辞退 「戦メリ」秘話

編集委員 小林明

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NIKKEI STYLE

世界的なファッションデザイナーでイベントプロデューサーとしても活躍してきた山本寛斎さんが7月21日、急性骨髄性白血病のために76歳で死去した。自分や他人を鼓舞する元気の源となったのは、創造意欲や自己表現への燃えるような渇望だった。壮絶で破天荒な人生の軌跡や意外な有名人との出会いなどの秘話を過去のインタビューから抜粋して紹介する。

弟2人を連れて高知へ、寂しさの恐怖から脱出したい

――人生で最初の記憶は何ですか。

「鮮やかな色の金魚ですね……。母方の実家があった横浜の上大岡で育ったんですが、近所に金魚の養殖屋さんがあって、大雨が降ると、養殖の池の水と一緒によく金魚が道路に流されてきたんです。両親はすでに離婚していて、母は周囲から『子供を早く手放して再婚しなさい』とプレッシャーを受けていたらしい。母がハッピーでないと、その気持ちも子供に以心伝心で伝わるものですよね。7歳のころ、長男の私は2人の弟と一緒に、父親の実家があった高知に引き取られることになります。切符を誰に買ってもらったのかさえよく覚えていません。とにかく兄弟3人で列車や連絡船を乗り継いで高知まで行ったんです」

――子供だけで横浜から高知まで行ったんですか?

「ええ……。幼い弟たちを抱え、兄として『これからどうなるんだろう』という不安で胸が張り裂けそうでした。列車の車窓から見えた風景は生涯忘れられません。夕暮れの中、家の窓に小さな電灯が点々とともり、ひとつひとつに幸せな家族のだんらんがある。でも自分たちは温かいだんらんの対極にいた。『寂しさの恐怖から何とか抜け出したい』。そんな強烈な思いが、私を明るく陽気な世界に駆り立ててきたのかもしれません。3人は横浜から岡山の宇野で鈍行列車を降り、宇高連絡船で高松まで行き、徳島経由で何とか高知にたどり着きました」

鉄条網に囲われた相談所、引っ越しは計10回以上

――高知ではどんな生活を送ったんですか。

「兄弟3人とも児童相談所に預けられました。施設は少年院のように鉄条網で囲われており、いくら待っても親族が引き取りに来ない。相談所の人に『米穀(配給)通帳を持ってるか』と聞かれたので、『持っておりません』と答えたら、すぐに態度が変わり、冷たくあしらわれるようになりました。米穀通帳を持っていなければ、3人ともただの穀潰しですからね」

「栄養バランスが悪かったせいか、一番下の弟は毎晩のようにおねしょをします。兄弟3人は相談所で邪魔者扱いでした。毎日、空腹でひもじいので、皆が寝静まった深夜、鉄条網の外にあった畑に行き、サツマイモを手で掘り、生でかぶりついたりしていました。寂しさに耐え切れず、相談所から脱走したこともあります。しばらくは学校にも通っていなかったんじゃないかな」

――父親はどんな人でしたか。

「仕立屋の職人でなかなかハンサムな男性でした。でも子供を顧みるようなタイプではなかった。異性とのロマンスに情熱を注ぎ、わりと律義に結婚と離婚を繰り返していましたね。私が岐阜の小学校に落ち着くまで、高知、大阪などへと引っ越しを計10回以上も経験します」

大学時代はアイビーに夢中、バイト先のTV局でおしゃれ勝負

――岐阜ではどんな少年時代を過ごしましたか。

「小学校まではとても内向的で、成績表に『気が弱くて、感受性が強い』と書かれていました。でも中学に入ると性格がガラリと変わります。中1のとき、親友が生徒会長の選挙に立候補したので、全校生徒の前で応援演説したら、それが大受けしたんです。以来、人前で話すことに快感を覚えるようになり、学校の人気者になっていました。体格がいいし弁も立つ。自信がみなぎり、1年のくせに応援団長になってしまいます。皆に一目置かれる番長のような存在でした」

「おしゃれに目覚めたのもこのころ。お金はなかったけど、黒い学生服の下に白いトレパンを組み合わせたり、石原裕次郎さんらがはいていた細身のマンボズボンをまねてパンツを自分で細く縫い直したり、色々工夫していました。おしゃれでは絶対に人に負けたくなかったですからね」

――「VAN」「JUN」などアイビーファッションに夢中になったそうですね。

「1962年に日本大学英文科に入学してから、雑誌『メンズクラブ』などを参考にお金のほとんどをファッションに費やしていました。友人の紹介で日本テレビのフロアアシスタントのアルバイトもしていたんですよ。担当したのはドラマ『地方記者』とバラエティー番組『シャボン玉ホリデー』。雑用ばかりでしたが、スタジオで青島幸男さん、堺正章さん、梓みちよさん、ドリフターズら芸能人の方々をよくお見かけしていました。局内ですれ違う相手とは、常におしゃれの真剣勝負。相手を値踏みしながら、『おぬしできるな』とか『よし、こちらが勝ったぞ』とか、ファッション感覚を自分なりに磨いていました」

加藤登紀子とシャンソンで競う、コシノジュンコに弟子入り

――シャンソンコンクールにも挑戦しましたね。

「優勝したらパリ行きチケットがもらえるというので、それを目当てに応募したんです。20、21歳のころかな。でも歌のレッスンなんてした経験がありません。当日、父に仕立ててもらった白いジャケットを着て舞台に立つと、ピアノの伴奏者に『キーはどうしますか』と聞かれたので、『適当にやってくれ』と答えて、英語で『愛の賛歌』を熱唱しました。でも出だしのキーがまったく合わず、最後まで調子が出ないまま鐘1つで終わってしまった。まあ、当然の結果です。ちなみに東大生だった加藤登紀子さんもコンクールに参加していて、見事に優勝したそうです(65年)」

――デザイナーを目指すきっかけになったのは何ですか。

「上京後、横浜の母の家に通うようになっていました。母は敷地に洋裁教室を作り、裁縫を教えていたんです。ある日、教室の書棚にあった『装苑』という雑誌を眺めていたら、元国鉄職員がデザイナーになったという記事が目に入った。『そうか、素人でもデザイナーになれるんだ!』と刺激を受け、自分もデザイン画を学ぶことにしました。日大の先輩でデザイナー集団を率いていた浜野安宏さんをはじめ、コシノジュンコさん、細野久さんらのアトリエにも弟子入りして修行を積みます。毎日、デザイン画を描きながら『装苑賞』に応募し、落選してもめげずに挑戦し続け、ついに67年に受賞することができました。まさに死に物狂いでつかんだ栄誉でした」

D・ボウイのNY公演で衣装作り、東洋と西洋の化学反応

――71年に日本人で初めてロンドン・コレクションでデビューし、大成功を収めましたね。

「ファッションで大きな影響を受けたのは米国のヒッピー文化。雑誌で初めて写真を見たとき、『なんて格好いいんだ』と震えを感じたのを覚えています。ヒッピー風俗の写真をできるだけかき集め、独学で研究を始めます。髪を茶色に染め、チリチリのアフロパーマをかけ、蛇革で作ったジャケットやパンツ、靴という派手な格好で街を歩いたら、東京では周囲にけげんそうな目で見られたり、冷たく笑われたりする。でもロンドンの街を歩くと、ブテッィクの店員が目を輝かせながら飛び出してきて、『この服、ステキだね』『どこで買えるの』なんて次々に声をかけてくる。絶賛の嵐です。言葉が通じなくてもファッションを介して理解し合えた。ロンドンはとても自分に合っている街だなと感じました」

――英ロック歌手、デビッド・ボウイからも衣装作りを依頼されます。

「つないでくれたのは知人のスタイリスト、高橋靖子さん(通称ヤッコさん)。ヤッコさんがデビッドのマネジャーに私のコレクションを見せたら、『ぜひ着せたい』と話に乗ってきた。それでデビッドの舞台衣装を作ることになったんです。場所はニューヨーク。米国進出に踏み出したばかりの彼にとっても、節目となる重要なコンサートでした。公演当日、私は会場の最前列に座り、ドキドキしながらコンサートの様子を見守りました。ミラーボールが回転し、私が手がけた派手な衣装をまとったデビッドが天井から降りてくる。歌舞伎の引き抜きの演出なども取り入れたコンサートは大好評を博します。西洋と東洋の文化がぶつかり、すごい化学反応が起きたわけです。本当に感動的な瞬間でした。以来、彼とは親しく交流させてもらっています」

大島渚監督からの打診を辞退、ボウイの相手役は坂本龍一に

「デビッドのショー自体を演出したいと考えていたんですが、実現できないうちに彼が他界してしまいました(2016年1月)。実は映画の話題作で共演する話もあったんですよ。大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(戦メリ)。デビッドが主役(英軍将校)で、私は大島監督から『その相手役で出演してもらえないか』と打診されていたんです。デビッドとは親交がありましたからね。ただ長期の海外ロケが必要だったので、コレクションの仕事と両立できず、残念ながら辞退しました。その役(陸軍大尉ヨノイ)は音楽家の坂本龍一さんが演じることになります。もし私がその映画に出ていたら、ひょっとして私の人生も変わっていたかもしれませんね(笑)」

(聞き手は編集委員 小林明)

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