まさか自分? うつの私、リワークプログラムに出合う
うつのリワークプログラム(上)
皆さま、はじめまして。私は元うつ患者で、うつの「リワークプログラム」を経験した、ふくいひろえ(以下、ふくい)と申します。雑誌や書籍の編集の仕事をしています。以前、うつで休職していた私は、「リワークプログラム」を受けて復職し、今では「うつ患者」から「元うつ患者」になって、元気に働いています。
そして、プログラムの立案者で統括者であり、私の主治医でもある五十嵐良雄所長と一緒に「うつのリワークプログラム」という本を作りました。これは、その本の中の内容を再構成したものです。まずは、私のうつ発症時のこと、休職、そして「リワークプログラム」に通うことになるまでを、ダイジェストでお話しします。
「まさか、私が?」、うつで会社を休職することに
そもそも私が、うつと診断されたのは41歳のときでした。「朝、会社に行こうとすると、悲しくもないのに知らぬ間に涙が流れて止まらない」という不思議な体験を、職場で話したことがキッカケです。
「えー、そんなことがあるんですか!」と後輩。
「そうなのよ、変でしょう? なんで涙が? ってビックリ」と笑う私。
軽口をたたく私に、上司が「診療所に行ってきなさい」と一言。そのときの上司の厳しい表情に、「えっ?」と驚いたのを覚えています。
そして、会社の診療所で「うつの疑いがあります」と言われ、その後、精神科病院を受診し、正式にうつと診断されたのでした。悲しくないのに涙が流れたのは、感情が不安定になる症状とのことで、休養が必要と言われました。
でも、その当時の私は、昇進して1年ほどたち、仕事も責任も増えて疲れてはいましたが、もともと大好きな仕事で、連日の残業もいとわず、責任ある仕事にやりがいを感じていたため、「そんな、まさか、私が?」という驚きでいっぱいでした。
「どのくらい会社を休めばいいんですか?」と医師に尋ねると、「最低でも1カ月、できれば3カ月は休んだほうがいいでしょう」との返事。これには驚きました。
「ええっ、3カ月!? 無理です。有給休暇はそんなに残っていません。1~2週間じゃダメでしょうか?」
そう尋ねた私に、医師は「うつの治療には、ある程度まとまった休養が必要です。もし、有給休暇が残っていないなら欠勤すればいいんですよ」と答えます。
「ケ、ケッキン? いやいや、欠勤なんて今まで一度もしたことないですし、したくありません」と、驚きとともに、即座に拒否する私。
会社員にとって、欠勤は、よほどのことがない限りするものではない、いや、してはいけないものだという認識、ありますよね。私はそうでした。「うつ」について何も知らず、自分が「よほどの状態にある」という自覚がまったくなかったのです。
「では、代休や有給休暇を目いっぱい使って1カ月休んでみてから、またご相談します」。そう言って、病院を後にしました。
1カ月も休めば絶対に回復する、そのときの私はそう高をくくっていました。しかし、仕事から離れると、休んでいる間中、病気とばかり向き合うようになります。
「いったい、どんな病気なの?」と、うつについてインターネットのサイトなどで調べだしたあたりから、私は本格的にうつの症状が進んだ気がしています。
当時、うつの当事者によるネット情報は悲観的なものが多く、闘病記にはつらい内容が延々と続いていました。「原因は分からない」「いつ治るかは分からない」「希死念慮(死にたいと思うこと)もある」「助けて!」「もう、ダメだ……」といった闘病記の内容は私の心を、重く重く沈ませました。
悲観が悲観を生む。そんな負のスパイラルのような時間にどっぷりつかった私。今思い出すと、初めは「うつと診断されたこと」に「私が? いやいや、そんなはずはない」と思っていたはずなのに、会社を休みだしてから、ネットで受け取ってしまった過剰な情報に、自ら沈み、希望を失っていったように思います。
うつの症状が現れる病気には、いろいろあるということも知りませんでした。
そしてその後、いったん仕事に復帰しましたが、出勤しようと身支度していると手が止まって動けなくなる出社困難の状態となり、打ち合わせの席で悲しくなって泣きそうになるといった症状にも悩まされ、結局、休職することになりました。
休職して、毎日「死にたい」と思うように……
その後は、自宅で服薬と療養の日々に。やはり、病気のことや、今後のことを考えれば考えるほど、うつは悪化していきました。本格的にうつの日々がやって来たのです。
それこそ、毎日のように希死念慮を抱えるようになりました。毎日、死にたかった。
うつの患者の間では、最悪の状態といわれている「落ちる」体験をしたのも、実は休職してからでした。
「落ちる」というのは、まるで頭の中が泥水で満たされたかのような、これ以上ないくらいの自己不全感に陥ることをいいます。話すことも、顔を上げていることも、何かを考えることもできない。出口のない、えたいの知れない閉塞感。私の場合は泣きながら、うずくまるだけ。
「こんなにつらいなら、いっそ……」と、夜中に衝動的に自宅マンションのベランダに出たこともあります(自室は7階)。
「とんでもないことを考えてしまった」と自分を責め、怖くて不安で、パニックを起こし、119番に電話をかけて助けを求めようとしたこともありました。
その後、病院の検査で甲状腺ホルモンが不足する「橋本病」であることが判明し(40代の女性に多いと後から知りました)、その不足を補う薬を服用し始めてから症状が少しずつ改善。自宅での療養と服薬によって、状態は薄紙をはぐように安定してきて、語学の勉強を始められるまでになりました。
毎日、単語を一つでも覚えれば、前日は分からなかった文章の意味が、今日は分かるようになります。「できないことばかり」ではなく、少しでも「できること」を積み重ねることが、安心感につながったのを覚えています。
そんな日々が続いて、ようやく当時の主治医から「そろそろ復職の準備を始めてもいいでしょう」と言われ、私は、勤務先の会社の人事部に連絡を取ることにしました。
人事部の勧めで初めて知った「リワークプログラム」
長期間、会社を休んでしまい、休職前と同じように働けるのか、上司や同僚に受け入れてもらえるのか。うつだったということで変な目で見られないか……。
仕事に戻るのは不安でもあり、正直、怖いけれど、そうかといってこのまま会社を休み続けるわけにもいかない。この先の人生を生きていくために、働かなくては。とにかく勤務先の人事部に相談してみよう、と重い腰を上げたのでした。
人事部に連絡すると、「一度、会って話しましょう」と面談を行うことになりました。
「ふくいさん、お久しぶりです。顔色も良いですし、だいぶ回復されたようでよかったですね。でも、うつになった方は、復職後に、また体調を崩されることが多いんですよ」
「え、そうなんですか? 私はもう大丈夫だと思いますが……」
「長い間会社を休んでいた状態から、いきなり復職して以前と同じように働くのは、健康な人でもつらいものです。連休明けや、年末年始の休み明けも、いつものペースに慣れるまで疲れやすいでしょう。まして、ご病気だったんですから、なおさらだと思いますよ。ところで、ふくいさん、『リワークプログラム』というものがあるのをご存じですか? うつで休職している人向けに、復職を支援するプログラムです。これを受けることをお勧めします。会社としても、このプログラムを受けてから復職していただきたいと考えています」
予期せぬ話に、「主治医のOKももらい、こちらがもう大丈夫、復職したいと言っているのに、なぜ、そんなプログラムを受けなければいけないんだろう。それにいったい、どういうもの? そのプログラム?」と、すぐには受け入れられない気持ちでした。
そして、私は、当時の主治医に相談することにしました。
主治医は、このプログラムのことを知っていたようで、「当病院ではリワークプログラムを行っていないので、会社が受けるようにと言うなら、プログラムがある病院を受診するしかありません」とのこと。
こうして、私はインターネットで検索して見つけた、東京・港区虎ノ門にある精神科クリニック、「メディカルケア虎ノ門」を訪ねることにしました。
初診では、まず主治医となる五十嵐所長(当時は院長)から体調について尋ねられ、プログラムの概要の説明を受けました。
そして、驚いたのは、私が「そのプログラムを終えるまでに、どのくらいの期間がかかるんですか?」と尋ねたときでした。
「人により、症状によって差はありますが、最低、半年は必要です」
「ええっ、最低でも半年!? そ、そんなに長くかかるんですか!」。驚く私に、所長はこう答えます。
「うつは再発しやすい病気です。今、ここでしっかり向き合って、きちんと治して復職の準備をすることが、復職しても再発せずに済むことにつながります」
うつは再発しやすい――。初耳でした。私は、漠とした不安が、胸にじんわり広がるのを感じました。
そして私は、これをきっかけに「このプログラムのことを知りたい、受けてみたい」という気持ちを強く持つことになったのです。
五十嵐所長のコメント
ふくいさんが初めて当院を受診されたとき、多くの患者さんがそうであるように、「なぜこのプログラムを受けなければならないのか、分からない」という様子でした。
憂うつ感があって、うつと診断され、会社に行けなくなったら休職することになりますが、病気自体は、入院が必要なほど重くはない。軽い人がほとんどです。
私も最初のうちは、ふくいさんのように会社を休職して当院を受診される患者さんの多くは、軽いから治りやすいのだろうと思っていました。ところが、会社を休んで薬を飲んで症状が良くなっても、復職して働き始めると、また症状が出てきてしまうのです。
ずっと服薬を続けていても、再休職してしまう人が多いという状況に驚きました。
治すのが難しいのではなく、何をもって「治った」とするのか。
そしてそれが、どの時点なのか。
これが全然分からないということが課題でした。
結局、「本当に病気が治っているのか、働ける状態になっているのかは、実際に働いてみないと分からない」ということが分かった、という状況でした。
病気の本人にも分からない。主治医にも分からない。もちろん、会社にも分からない。
そういうなかで復職させなければならない。うまくいかなければ再休職を繰り返していくことになります。そうすると、どんどん治りにくくなってしまいかねない。そうした経緯から、通勤の練習も兼ねたリワークプログラムを考えたのです。
プログラム終了までに最低半年必要だということも、ここ数年で経験上分かってきたことで、最初からこのくらいと分かっていたわけではありません。
当初は、3カ月程度で復職した人もいます。そうやって成功と失敗を繰り返しながら、プログラムを工夫してきた結果、「最低半年は必要」と分かったということです。
もちろん、もっと長くかかる人もいます。
次回は、「リワークプログラム」とは実際どんなものなのか、五十嵐先生に伺います。
(文 ふくいひろえ)
東京リワーク研究所所長。精神科医・医学博士。医療法人社団雄仁会理事長。メディカルケア大手町院長。1976年、北海道大学医学部卒業。埼玉医大助手、秩父中央病院院長などを経て、2003年メディカルケア虎ノ門開設。2008年、うつ病リワーク研究会発足、代表世話人に就任。2018年、一般社団法人日本うつ病リワーク協会理事長に就任。
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