トップを狂わせた「笑わない美女」 史記のミステリー
司馬遷「史記」研究家・書家 吉岡和夫さん


歴史書というと堅苦しいイメージがつきものですが、司馬遷の「史記」にはミステリーと呼びたくなる、ちょっと不思議な話が登場します。捨て子から王妃にまでなった「笑わぬ美女」、褒●(●はおんなへんに以、ほうじ。以下、王妃)の物語は、その筆頭のように思えます。司馬遷はこの奇怪な言い伝えを無視することなく丁寧に書き残しました。
まるで「パンドラの箱」
司馬遷の生きた時代をさかのぼること600年余り。周王朝の幽王(ゆうおう)は、後宮で見かけた女性に心を奪われます。幽王はそれがもとで身を滅ぼし、周は大きく衰退することになるのですが、その経緯には謎のエピソードばかりが出てきます。
周では第10代の厲王(れいおう)が、この器の封を解きます。厲王は圧政によって民衆の反乱を招き、国外に逃げることになる人物です。開けた器から流れ出した泡はトカゲに姿を変え、後宮に入り込みます。
後宮にいたある童女がトカゲに遭遇した結果、15歳で夫もいないまま女児を産みます。しかしその子は気味悪がられ、道に捨てられてしまいます。
まるでギリシャ神話に出てくる、災いを封じ込めた「パンドラの箱」のような話です。神竜がなぜ現れたのか、なぜ厲王が封印を解いたのか、史記には書かれていません。司馬遷は周の史官、伯陽(はくよう)が残した記録を参照して、この伝説を書いていると思われるのですが、ひとつひとつの出来事の理由についてはふれられていないことが多く、司馬遷もわからなかったようです。さすがに、すべて史実と信じることもなかったと思います。
それでも、そうした伝承を軽視できないと考えていたのは間違いないでしょう。そして何よりも、強く興味をひかれるものがあったのだろうという気がしてなりません。