2020/8/17

トヨタウェイは世界を変えたか

佐藤智恵(さとう・ちえ) 1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。最新刊は『ハーバードはなぜ日本の「基本」を大事にするのか』。

佐藤 ジョン・ディア・インディアは農業機械メーカーであり、自動車メーカーではありません。なぜインドのメーカーには広くトヨタ生産方式が導入されているのですか。

ラグナサン インドには数多くの自動車メーカーや自動車関連会社がありますが、その中でもトヨタ自動車は大きな存在感を放っていると思います。インド企業との合弁会社(トヨタ・キルロスカ・モーター)を設立していますし、ベンガルールには大きな工場もあります。何よりもその生産方式は有名で、多くの製造業の企業に影響を与えてきました。

インドの生産現場で働くエンジニアの間では『ザ・トヨタウェイ』(The Toyota Way: 14 Management Principles from the World's Greatest Manufacturer、2004年)という本がとてもよく読まれています。ミシガン大学のジェフリー・ライカー教授が書いた本ですが、ジョン・ディア・インディアの研修でも教科書として活用されていました。この本は私たちエンジニアにとって「バイブル」のような存在なのです。

佐藤 ラグナサンさんは、ジョン・ディア・インディアで2年間働いたあと、アメリカのミシガン大学大学院に留学し、自動車工学と製造工学を学びます。まさに「理論と実践」の両方からトヨタ生産方式についての知識やスキルを身につけたことになりますね。大学院卒業後は、電気自動車メーカー、テスラに入社しますが、テスラではどのようにその知識やスキルを活用しましたか。

ラグナサン テスラの仕事にはじめて携わったのは15年です。「モデルX」の販売開始を控え、生産に追われていたときでした。

私がインターンとして配属されたのはカリフォルニア州のフリーモント工場でしたが、そこはかつてトヨタ自動車とゼネラル・モーターズの合弁会社、ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(NUMMI)の生産工場だった場所でした(筆者注:1984年から2009年までNUMMIが使用していた工場を2010年、テスラが購入。トヨタ自動車がアメリカで初めて本格的な生産を開始した場所)

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残っていたアンドンコード