「ポテサラ論争」が示す深い闇 怒鳴る高齢男性の孤独ダイバーシティ進化論(水無田気流)

2020/8/15
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先日ツイッターに、総菜コーナーでポテトサラダを買おうとした幼児連れの女性が、高齢男性から「母親ならポテトサラダくらいつくったらどうだ」と言われるのを目撃した、というつぶやきが投稿された。これに13万件を超えるリツイートがつき「ポテサラ論争」と呼ばれ、話題となった。

「母親なら」手間を惜しまず手作りの料理を用意すべきだという通念に対する反発と、ポテトサラダという一見簡単だが意外に手間のかかる総菜を、それ「くらい」と見なす男性の家事見識のなさへの批判などが目立った。

筆者はこれを読み、子どもが2歳のころ遭遇した場面を思い出した。子どもをショッピングカートに乗せ、スーパーのATMに行ったときのこと。狭いためカートを横に置けず、後ろに置いて操作していた。そのほんのわずかな時間、子どもが私に抱きつこうとカートからはい上がってきた。気配に気づき子どもを抱き留めたが、カートは倒れそうになり、子どもは泣き出した。そのとき「何やってるんだ、ちゃんと見てろ!」と、後ろに並んでいた高齢男性に怒鳴られた。

後ろ向きでものを見るのは極めて困難である。昔イチロー選手の守備で、打球に背中を向けて走りながら華麗に追いつきキャッチしたのを見て感動した覚えがあるが、母親業はイチローレベルの反射神経がなければ務まらないのか。

周囲の女性たちの間でも、子どもがぐずっていたらうるさいと怒鳴られた、子連れで歩いていたら「母親のくせに化粧なんかしやがって」と言われた、などの話を耳にする。新型コロナウイルスによる「自粛警察」横行以前から、この国の母親たちは周囲の「正しい母親たるべし」というまなざしの「取り締まり(ポリシング)」に遭ってきた。

正義を盾に子連れの女性に説教してくる相手は、聞く限り高齢男性が多い。男性が上から目線で女性に説教することを「マンスプレイニング」というが、その一環だろう。ただ母親たちに聞いたところ「注意する方も本気でそう思っているというより、正義を振りかざして構ってほしいのでは」との意見もあった。

たしかに日本では、各種統計調査に鑑みても「母は家事・育児の要求点数が多く大変」だが「高齢男性は人間関係が希薄で孤独」だ。彼らが怒鳴ることでしか他人と接点を持ち得ないとすれば、その闇は深い。

水無田気流
1970年生まれ。詩人。中原中也賞を受賞。「『居場所』のない男、『時間』がない女」(日本経済新聞出版社)を執筆し社会学者としても活躍。1児の母。

[日本経済新聞朝刊2020年8月10日付]

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