幕開けは「ショー・マスト・ゴー・オン」(井上芳雄)
第74回
井上芳雄です。7月20日、5カ月ぶりに劇場の舞台に立ちました。7月20~24日まで日比谷シアタークリエで上演された『SHOW-ISMS』(『DRAMATICA/ROMANTICA』バージョン)です。新型コロナウイルスの感染が再び拡大するなか、ぎりぎりまで本当に幕を開けられるかどうかという状況だったので、最初の曲を歌ったときは感極まるものがありました。
『DRAMATICA/ROMANTICA』は、演出家の小林香さんが手がけるオリジナルのショーやミュージカルのシリーズ『SHOW-ism』の第1弾として2010年に初演した作品です。出演者は彩吹真央さん、JKimさん、知念里奈さん、新妻聖子さんと僕で、僕以外は全員女性。ミュージカルやクラシカルクロスオーバーの名曲を歌って踊るショー形式の舞台です。11年と12年に再演して以来、今回8年ぶりに5人が再び集まりました。
幕が開くまでは正直、不安が大きかったです。ショーとして成り立つのか、お客さまはちゃんと反応してくれるのか、配信でどのくらいの人が見てくれているのか……。そんな思いが入り交じるなか舞台に立って、客席にいるお客さまの姿が見えたときは、思わずこみ上げるものがありました。
最初の曲はクイーンの『The Show Must Go On』。力強い歌だから、泣くわけにいかないと思いながらも感無量でした。歌い終わって、4人の女性を見ると、みんなそれぞれ目が潤んでいます。それだけこの瞬間を待っていたんだ。お客さまもそうだろうし、スタッフもキャストも、みんなが待っていた瞬間だと感じました。
「ショー・マスト・ゴー・オン」はショービジネスの世界でよく使われる言葉。幕が開いたら何があっても舞台を続けなければいけないといった意味合いですが、今は、公演ができなかったとしても自分たちの歩みを止めてはいけないという意味にも広がったように思います。重みがある言葉です。
今回の『SHOW-ISMS』は、公演中止となった最新作『マトリョーシカ』のキャストに加えて、歴代の『SHOW-ism』シリーズのキャストが集ったスペシャル版。僕が出た『DRAMATICA/ROMANTICA』バージョンでは、『DRAMATICA/ROMANTICA』からの曲をメインに、僕とゆみこ(彩吹さんの愛称)さんが出演していた『∞/ユイット』からの1曲をはさんで、『マトリョーシカ』のキャストが劇中の4曲を披露するという構成でした。一方、7月28日から8月4日までは『マトリョーシカ』バージョンとして、2時間半の上演予定を85分にアレンジした『マトリョーシカ』を中心に、他の歴代キャストによる演目を上演しています。コロナ禍の今だからこそ生まれた、皆で協力して作り上げた舞台といえるでしょう。
急きょ決まった公演なので準備期間は短く、稽古は6日間でした。もちろんマスクやフェースシールドをつけての稽古です。振り付けも、今までは手と手を交わしたり、人の近くを移動したりしていたのですが、今回は「近すぎるね」などと話し合いながら、ディスタンスを取りながらの創作。以前に比べて動きは少なくなりました。PCR検査も関係者全員が受けて、陰性が証明されてから開幕に臨みました。
お客さまは前後左右1席ずつ空けて座っているので、劇場キャパの半分の数。歓声などは基本的に上げられないのですが、その分大きな拍手をしてくださいます。マスクを着けているので目しか見えませんが、笑い声はしっかり聞こえてきます。前と全く同じではないけど、舞台の上と客席は同じようにつながっていて、ちゃんと伝わるという手応えがありました。やっていることは、基本的に今までと変わらないんだなと。
これまでとの違いは、ライブ映像配信が加わったこと。テレビや映画の仕事のように、カメラの向こうにたくさんのお客さまがいるという感覚は、舞台上では今までほとんど意識したことがないので、まだ慣れません。開演前や終演後に配信用のトークもしました。聞いた話では、視聴の手続きが複雑だったり、情報が行き渡ってなかったり、早くから視聴券を買う必要がなかったりで、どのくらいの人が配信で見てくれるか、事前に把握しづらかったそうです。今後の課題として、配信のお客さま向けの特典や企画も大事だということがわかりました。
前より手間がかかったり、やることが増えているのは確かです。でも、いつまで続くかわからないけど、それに慣れていかないといけないですね。一方、感染予防で幕あいの休憩時間をつくらないため、公演は2時間程度、1日2回公演もありませんでした。今までより時間が短く、公演回数も少ないという点で肉体的には楽です。それで配信を含めて、これまで以上のお客さまに見ていただけるのなら、新しい可能性が開けるかもしれません。
手探りではありますが、今はとにかくできることをやるだけ。数カ月前の一斉に公演中止という状態とは違って、演劇をやれる状況にはなっているけど、感染者が出たらすぐにやめないといけないという、また違う段階に入っています。世の中全体もまだまだ踏ん張らないといけない状態が続くので、そのためのエネルギーを自分たちが少しでもお届けできるならうれしい、という気持ちで舞台に上がっていました。
8年前とのいろんな違いを実感
演出の小林さんには、初日が終わって「この5人がまた集まってよかった」と言われました。8年前にファイナルと銘打っていたし、物語のミュージカルだと何年ぶりかの再演はありますが、ショーの形式で8年たっての再演はあまり聞きません。僕たちも「またやろうね」とずっと言っていたわけでもないし、僕と知念さんが結婚するといった関係性の変化も含めて、もう一度やることを皆はどう感じるだろうと、小林さんは考えたと思います。でも、それを伝えたときに、5人とも「やりたい」と言って、また形にすることができて、うれしかったのでしょう。劇場を再開するにあたって、皆がまた集まったのも縁だし、作品自体に力があったからこそ実現したのだと思います。
『DRAMATICA/ROMANTICA』は「声を重ねる」のがテーマじゃないかと感じています。普段は歌でメインをとることが多いそれぞれですが、この公演では陰でコーラスをしたり、歌の途中でほかの人たちが入ってきたり、何かしら皆がかかわって1曲を歌います。5人だから奏でられる音や成立する空気があって、それは得がたいもの。この時期に、また5人が一緒になって歌うことに特別な意味があると思いました。
初日から何日かたつと、それまでの緊張が解けて、みんなリラックスして歌うようになりました。端から見ていてとてもうれしかったので、トークでそれをしゃべったら、聖子さんから「お父さんみたいだね」と言われました。思い起こすと、8年前はそんな感じではなかったように思います。切磋琢磨(せっさたくま)というかライバルみたいな感じで、「この歌は自分の歌だ」みたいなところもあった気がします。けど今は、コロナ禍の影響もあるでしょうが、「我が、我が」となってもいいことはない。『マトリョーシカ』のキャストの方も含めて、皆で力を合わせて、いいものを届けて劇場を再開させようという気持ちがまずありきだったので、それは今までにない空気でした。
そんなことを含め、今回は8年前とのいろんな違いを実感しました。知念さんとの共演は8年前が最後だったので、それも久しぶり。避けているとかやりにくいとかではないのですが、周りに気を遣わせてないかは気にかかります。全く触れないのも不自然な気がして、初日のトークでは2人のことに触れました。お客さまが温かく迎えてくださった感じが、うれしかったですね。これもまた、これからのひとつの在り方というか、一緒に演じられる機会があれば自然体でやれればいいと思っています。それを切り開こうと思っているわけでは全然なくて、今回のように結果としてそうなるのなら、ありがたいことです。
トークにしても、以前は5人でワイワイガヤガヤという感じでしたが、今は役割がはっきりしてきたように感じます。8年前、僕が「黒一点」としてトークを回していたのを見たアナウンサーの笠井信輔さんから、こんな指摘を受けました。「井上君は自分の話ばかりしている。もっとほかの人の話を聞いた方がいいよ」。僕自身は、お客さんが喜ぶ話をしていたつもりだったのですが、「そう見えてるんだ」と気づいて、ずっとそれを気にとめていました。それで今回、8年ぶりに5人でトークをしたときに、「今は自然とそうできてるんじゃないかな」と思ったんです。もちろん自分の話もするけど、今回の公演の成り立ちを話したり、みんなができるだけしゃべったり、話したくなる雰囲気をつくろうと自然にできていたし、それに喜びを感じてもいました。
自分のことをさらに言えば、自粛中にずっと家でバーレッスンをやっていたので、今の方が踊りやすい気がします。8年前はゆみこさんが宝塚を退団してまだ数年だったので、男役の動きもキレキレ。僕が同じ振りをしていても、「男なのに踊りが負けている」とみんなに言われてました(笑)。今回はそうは言われなかったので、体もキレているのではないでしょうか。
一歩引いて俯瞰する立ち位置へ
歌の解釈も変わりました。僕は、ガブリエラという主婦がコーラス隊で勇気を振り絞って歌う『ガブリエラの歌』という曲が大好きで、小林さんに日本語の詞をつけてもらいました。今までいろいろあきらめていたけど、仲間の声を聞いて、やっぱり自分の声で歌いたいと分かったという歌詞です。8年前までは、その瞬間、瞬間でその人になりきって歌っていたと思います。例えば「あきらめて生きてきた」という歌詞は、あきらめた気持ちで歌うし、「でも気づいて」と歌うときは前向きな気持ちでと、その時々の感情を表現していました。けど今回は、いろんな経験をして一歩踏み出すんだと決めた人が、その時点から自分の人生を振り返るように歌ってみたんです。
それは表現の方向性で、正解かどうか分からない。けど、今はそれがしっくりくるというのかな。そっちの方が、お客さまも聴きやすいのではないかと思います。今までは感情を込めることが自分の精いっぱいだったけど、その渦中にいる人の視点じゃなくて、波が去った後で振り返るような視点。一歩引いて俯瞰(ふかん)する立ち位置に変わった気がします。今はお芝居をするときも、そうありたいと思っています。そんな自分の変化を感じました。今回は5カ月ぶりに舞台に帰ってきたというだけでなく、8年前と比べてもいろんなものが見えた公演でした。
8月は、東京芸術劇場と東京オペラシティでの『ミュージカル「ナイツ・テイル」in シンフォニックコンサート』、帝国劇場での『THE MUSICAL CONCERT at IMPERIAL THEATRE』と舞台が続きます。コロナ禍は予断を許さない状況ですが、また舞台に立てる喜びをかみしめながら、前に進んでいきます。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。2020年8月は第1、第4土曜。第75回は2020年8月22日(土)の予定です。
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