人類初の原爆実験 75年前に幕を開けた「核の時代」

日経ナショナル ジオグラフィック社

最後の証人たち

土曜日、核がガジェットのなかに入れられると、ガジェットは高さ30メートルの鋼鉄の塔のてっぺんまで引き上げられた。

7月の熱い太陽の下、科学者と兵士らは重さ2.3トンの「ガジェット」を高さ30メートルの塔のてっぺんへ引き上げる準備を進めていた。万が一爆弾が滑って落下したときのために、真下にはマットレスが何枚も重ねて置かれた(PHOTOGRAPH VIA AP)

トリニティ実験を実際に目撃した証人たちに直接話を聞くことは、もはやできなくなった。2019年後半に取材を始めたとき、私は数人の生存者を確認したのだが、コロナウイルス感染症の影響でインタビューを延期せざるを得なくなった。それから数週間が経ち、さらに数カ月が経過し、悲しいニュースが次々に舞い込んだ。

ロスアラモスの若き物理学者だったボブ・カーター氏は、トリニティ実験の日、許可なしに夜遅く女友達をバイクの後ろに乗せて、遠く離れた丘の上から爆発を見たという。そのカーター氏は、2020年4月7日に100歳で他界した(死因はコロナウイルスではない)。

フレッド・ヴァルスロー氏は、最後のガソリン配給券を使って友だちと車に乗り、やはり丘の上まで行って見物していたところ、自分たちの方に煙が迫ってきたため、全力で逃げ出したと、別のインタビュアーに語っていた。ヴァルスロー氏は、20年3月に101歳で他界した。

また、世界で初めて核分裂反応の制御を成功させた物理学者エンリコ・フェルミと一緒にロスアラモスでスクエアダンスを踊ったという化学者のロバート・J・S・ブラウン氏(95歳)へのインタビューも叶わなかった。

こうして、トリニティ実験が75周年を迎えたとき、あの雨の朝に実験を目撃した証人は誰ひとりとして生き残っていなかった。

核の時代の夜明け

実験は、1945年7月16日午前4時に予定されていたが、前の晩の雨の影響で遅れていた。オッペンハイマー、グローブ、ベインブリッジらは、渋い顔をしていた。軍事的理由から、これ以上遅らせるわけにはいかないという焦りもあったが、キャンセルとなればワイヤーの大部分を取り外さなければならない。23キロ離れた丘の上では、フェルミの他に、物理学者のエドワード・テラーやリチャード・ファインマンといった重要人物も実験の開始を待っていた。他にも、見学者のなかには、ドイツ生まれの英国人物理学者で、実はソビエトのスパイだったクラウス・フックスの姿もあった。

新たな開始時間は、5時半に決まった。現場から南へ8キロ離れた倉庫で、オッペンハイマーが秒読みを監督した。スピーカーから秒読みの声が流れ、全員が渡された溶接ゴーグルや、溶接用ガラスを段ボールにはめたものを準備した。爆発を直接見てはならないという命令だった。最初の爆発が起こった後で、向き直って見ても良いと言われていた。

スピーカーの声が届かない遠くの丘の上で待っていた人々はすっかり待ちくたびれて、5時半になる頃には背を向けて自分の車へ戻ろうとしていた。

その時、辺り一帯がパッと明るくなった。

ナショジオメルマガ
注目記事
次のページ
2度と来る必要のない場所
ナショジオメルマガ