試合を支えた心のこもったおにぎり 伊達公子さん
食の履歴書
テニスプレーヤーとして世界最高4位になるなど、華々しい活躍をした伊達公子さん(49)。世界で戦い始めたころ、その心身を支えたのは、愛情が込められた日本人のソウルフードだった。
18歳でプロになり、最初にウィンブルドン(全英選手権)に行ったときから、倉岡伸欣(のぶよし)さんのおにぎりが、そばにあった。「大体2つ。3つのときもあったかな。好物の梅は絶対入れてもらって、もう一つはタラコのこともあれば、おかかのことも。開けてみてのお楽しみ」。試合前夜に受け取って、朝起きて食べたり、戦う前に食べたり。「試合会場に持ち込めて、いつでも頬張れる。手も汚れない。すごい食べ物。何より日本の味がした」
倉岡さんは米ニューヨークで「レストラン日本」を経営していた。妻とともに長年、日本人テニス選手を支えた。米国での試合はもちろん、ウィンブルドンの期間中は調理師と渡英。会場近くに家を借り、選手やコーチにおにぎり弁当を届けた。噂はマルチナ・ナブラチロワ、ヤナ・ノボトナら超一流の外国人選手の耳に入り、「ミスタークラオカ、私の分は?」。倉岡さんは彼女たちにもおにぎりを渡し、試合を見に行った。
倉岡さんがいない試合では、自ら炊飯器を持ち運んだ。コメや重い変圧器も。ホテルで洗米して炊飯器にセットし、タイマーの音で目覚める。自分でおにぎりを握ってから試合会場に向かった。
ただ倉岡さんのおにぎりは違っていた。「味がとびっきりおいしいというより、やっぱり思いですよね」と笑う。応援する気持ちごと食べていると実感した。夜は倉岡さんの店や借りた家へ行き食事を共にした。「肉とか天ぷらとか、いろいろな物を食べさせてもらった」
食べたいと思ったら体が欲している
「幼いときからよく食べよく寝る子だった」と振り返る。高校時代のコーチは食にこだわりがある人で、その影響を受けた。高校卒業後は一人で上京すると、試合後によく、お好み焼き店「甚六」(東京・港)に通った。「友達もいなくて、関西の味や言葉が恋しくて。この店では『関西人の伊達公子』として接してもらえて、癒やされた」
その後強くなり、海外を転戦するようになってからは、その土地の物を食べたり、お店に行ったりすることを楽しんだ。普通なら避けがちの生ガキだって選んだ。「ただし、信頼できそうだなと思ったお店なら。そういう勘は当たる」。食べたいと思う物は体が欲している物のことが多い。細かいルールは定めず、「今日は絶対に肉!」などという気持ちを大切にする。
欧州でパンやカフェの魅力に気づき、引退後はドイツパンとコーヒーの店「フラウクルム」をプロデュースしている。新型コロナウイルス感染拡大で外出自粛中のインスタグラムには、おいしそうな自炊の写真が並ぶ。「おコメはもちろん、パンもイタリアンも大好き。食事をコンビニで済ますことはめったにない」
コメは玄米にこだわった時期もあったが、白米のおいしさに戻ってきた。「もちろん関西の物は今でも大好き。納豆は食べません」と笑う。
おにぎりの倉岡さんは応援心が強い分、試合内容には厳しかった。「あんなときに下向いてちゃだめだよ」としかられることがあった。「これがコーチだったら『そんなこと分かってるよ』とけんかになる。でも倉岡さんに言われると、素直に聞けるんです」
そんな倉岡さんが、褒め続けた試合がある。1994年11月のWTAツアー選手権で、この年のウィンブルドンを制したコンチタ・マルティネス選手に逆転勝利した。劣勢を跳ね返していく様子に倉岡さんは感動し、その後繰り返しこの勝利について語った。異国の地で苦労しながらビジネスを拡大してきた自身の姿に重なったのだろうか。
「その分、私が最初に引退したときは怒っていましたね。まだやれるのに、脂が乗っているのに『なぜだ』って」。だから37歳で現役復帰したときは大喜びした。
2度目の引退をした後も、テニスの解説の仕事でニューヨークを訪れたときは、レストラン日本で懐かしい味を楽しんだ。「また来年、と言って別れて。そんな日が続くと思っていた」。倉岡さん夫妻は2017年から18年初めにかけ、相次いで他界した。
いつでも爽やかなキミコスマイル。それを支えた熱烈応援のおにぎりを、今も忘れることはない。
活気あるシチリア料理店
最近の行きつけは東京の白金高輪駅から徒歩10分ほどにあるイタリアン「ロッツォシチリア」(電話03・5447・1955)。現地で3年修業をしたシェフによる本格的なシチリア料理が楽しめる。
カウンター席が伊達さんのお気に入り。キッチンの様子を眺めながら、「お店の人と会話をしたり、活気を感じたりするのが好き」と話す。
「日本各地の食材を使った日替わりのメニューが好評」と話すのは共同オーナーの阿部努さん。「群馬 川場田園モッツアレッラブッラータと高知リサジュエルトマト」(税抜き2800円)は宝石のようなミニトマトの鮮やかさが目においしい。伊達さんが注文するという定番メニュー「イワシとウイキョウのスパゲッティ」(同1800円)もおすすめだ。
【最後の晩餐】 土鍋で炊いたご飯。得意料理も同じ。ご飯には何もかけず、白いまま食べたい。「しゃっきり」よりは「もちもち」派で、今はミルキークイーンという品種を愛用しています。他の候補は、せいろのおそば、コハダの握り、それとカレーかな。
(砂山絵理子)
[NIKKEIプラス1 2020年6月27日付]
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