インダス川に迫る危機 水源、ヒマラヤの氷河で何が

日経ナショナル ジオグラフィック社

2020/7/5

押し寄せる氷河

インダス川は、インド最高峰を含む山々を通り、係争中の国境地帯を越えてパキスタンに入る。ヒマラヤ山脈がカラコルム山脈、ヒンドゥークシ山脈と出合ったところで、川は岩と氷に阻まれて南に進路を変える。そしてパンジャブとシンドの平野を流れ、1600キロ先のアラビア海に注いでいる。

川が進路を南に変える地点から60キロほど北で、私はグルキン氷河を歩いた。ここはインダス川の支流の一つ、フンザ川流域にあり、両岸には村々が点在し、果樹園が広がる。氷河は山の斜面から崩れてきた土砂で黒々としていた。頂上からの眺めは圧巻で、茶色の濁流が谷間を流れ下っていく。その先には、まぶしいほどの緑が広がる。畑や果樹園の葉を茂らせているのは、氷河に直結する水路網から引いた水だ。

2018年、グルキン氷河の近くにあるシシュパル氷河もすべり始め、1日37メートルも前進して、その先のハサナバードという町に迫った。「まるで列車のようでした」と話すのは、地元の地質学者ディーダル・カリムだ。氷河は農業用水路を覆い隠し、橋を破壊した。2019年10月に私が見たときは、1日30センチほどの速度に落ちていたが、それでも氷河としては速い。

そして、インダス川上流域では、もはや氷河の前進も後退も見られない。ここにあったホーパル氷河とバルプ氷河は著しく後退が進み、住民たちは苦心して整備した用水路網を放棄して、今は集落を離れている。

氷河の融解は切迫した脅威にもなる。解けた水は、下流に堆積した土砂や氷にせき止められて、池や湖を形成することがある。その水位が上がり、やがて限界を超えると、「氷河湖決壊洪水」(GLOF)を引き起こす。

2018年にはイシュクマン渓谷でそうした洪水が発生し、バド・スワトとビランズという二つの村が水浸しになった。住民の一人、48歳のナヤブ・カーンに話を聞くと、水が巨大な岩を押し流し、岩同士がぶつかる衝撃で地面が揺れたという。洪水は12日間続いた。流れてきた大量の岩は、イミット川をせき止めて水深6メートルの新しい湖をつくり、カーンの家を含めて42戸が底に沈んだ。

2018年、パキスタン北部の山岳地帯にあるシシュパル氷河が一気に押し寄せ、パイプなどのインフラを破壊した。これは、氷河の融解が加速したために起きたとも考えられている(PHOTOGRAH BY BRENDAN HOFFMAN)

パキスタン北部では、気候変動が一因であるこうした洪水で700万人の生活が危険にさらされている。パス村のリンゴ農家で教師でもあるアシュラフ・カーンは、周囲にある三つの氷河は「3匹の竜だ」と話す。「私たちはその口の中で生活しているのです」。08年の冬には、「普通なら何もかもが凍ってしまう」時期に氷河の一つでGLOFが発生した。さらに19年8月には、夏の融解水が「ホテルと果樹園、パキスタン軍情報部の建物を押し流した」という。

パキスタンは人口およそ2億3000万の発展途上国で、国民1人当たりの温室効果ガス排出量は世界192カ国中の144位でしかない。

パキスタン南部の大都市では、こうした不公平感を口にする人がいる。一方、北部で話を聞いて驚いたのは、ほとんどの人が氷河融解の原因をよく知らず、世界の国々を非難しないことだった。

(文 アリス・アルビニア、写真 ブレンダン・ホフマン、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック 2020年7月号の記事を再構成]

[参考]ここでダイジェストで紹介した「大河に迫る水の危機」は、ナショナル ジオグラフィック日本版2020年7月号の総力特集「世界の屋根ヒマラヤ」の1つです。このほかに、エベレスト初登頂の謎、氷の仏塔と気候変動、ユキヒョウ、世界一高い気象観測所など、多面的な切り口で人間とヒマラヤを紹介しています。Twitter/Insagram @natgeomagjp

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出版 : 日経ナショナルジオグラフィック社
価格 : 1,210円 (税込み)


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