インダス川に迫る危機 水源、ヒマラヤの氷河で何が

日経ナショナル ジオグラフィック社

2020/7/5
ナショナルジオグラフィック日本版

険しい山々を下った氷河の融解水は、パキスタンのシンド州の平野で堂々たる大河になる。奥に見えるサッカル堰(せき)は植民地時代に建設されたもの。インダス川の水を運河網に流して砂漠に送り、綿花や小麦、米の生産を可能にした。旧宗主国の英国が築いたこの灌漑(かんがい)システムは、今でも世界最大級を誇る(PHOTOGRAH BY BRENDAN HOFFMAN)

世界有数の大河、インダス川。ヒマラヤとその周辺の氷河から流れ出す豊かな水を運び、2億7000万人の生活を支える大河が今、ピンチだ。ナショナル ジオグラフィック7月号では、アジアの大河に訪れるかもしれない運命をリポートしている。

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チベット西部に位置する聖地、カンリンポチェ山。その周辺からは、4本の大河が源を発する。

ヒマラヤ山脈を東へ西へと流れるそれらの川は、尊い水の女神が伸ばした腕のように、海を目指して下ってゆく。流域のチベット、パキスタン、北インド、ネパール、バングラデシュには文明が芽生え、国家が成立していった。川の水をどう使うかは、流域の人間しだいだ。川に水をもたらすのはモンスーンと氷河の融解で、どちらも長い間、人の力が及ばない領域にあったが、今は人間も影響を与え始めている。

近年、地球温暖化の進行とともにヒマラヤ氷河が縮小している。このままでは、2050年頃からインダスなどの川の水量が減少に転じるという。そうなれば多くの人々の暮らしが脅かされ、インド、パキスタン、中国の関係は悪化するだろう。

ブラフマプトラ川をはじめ、ヒマラヤ山脈東部から流れ出す河川の水源は主に夏のモンスーンだ。地球温暖化が進み、大気中へ蒸発する水の量が増えれば降水量も増え、川の水量も増えるだろう。だがカンリンポチェ山から西へと流れるインダス川は、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンドゥークシ山脈の雪と氷河が水源だ。

ことに氷河は、冬の降雪を標高の高い山岳地帯で氷として貯蔵し、春から夏に融解水を供給するという「給水塔」の役目を果たしている。これによって水量が安定していたのだ。インダス川下流のパキスタンや北インドの平野で、世界最大規模の灌漑(かんがい)農業が行われているのもそのおかげだ。農業用水を供給する氷河は、流域に暮らす2億7000万人の生命線なのである。

その氷河のほとんどが縮小しつつある。最初のうちは、氷河が解けた水によって、川の水は増えるだろう。しかし予測通りに気温が上昇し、氷河の融解が進めば、インダス川の水量は2050年を境に減少に転じる。

すでにインダス川流域の水の6割以上が人々に利用され、流域の人口も急増している。ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受け、国際的な研究グループが行った世界の「氷河給水塔」の現状分析が学術誌『ネイチャー』に掲載された。それによると、最も危機的な状況にあるのがインダス川で、河川の供給可能な水量に対する取水量の比率が高く、「政府の管理が甘い」ことを考えると、インダス川が「この負荷に耐えられる可能性は低い」という。

インダス川の未来をめぐるどんな議論にも、気候変動の影がつきまとう。インダス川と5本の支流が流れるインドとパキスタンは1947年以降、敵対を続けているうえ、源流域が中国領内にあることも問題を複雑にしている。

インド、パキスタン、中国はそれぞれ膨大な人口を抱え、資源を確保したい理由もたくさんある。また、いずれも核保有国だ。気候変動は気づかないうちに少しずつ進行するものと思われているが、インダス川流域ではそれが紛争の引き金となり、一夜にして世界情勢を変えることになりかねない。

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