クミコさんとの新曲 次の世代へつなぐ橋(井上芳雄)
第70回
井上芳雄です。クミコさんとのデュエット・シングル『小さな手/きずな』をリリースします。6月6日に先行配信が始まり、6月24日にCDが出ます。『小さな手』はつんく♂さんが作詞作曲された新曲で、明るいポップナンバー。『きずな』は湯川れい子さんが作詞、宮川彬良さんが作曲され、2005年に発表された名曲です。いろんな方が歌ってこられて、そこに僕たちも加えていただきました。どちらの曲も人とのつながりを歌っています。どんな時でも、いや、こんな時だからこそ、歌が必要だと信じています。
僕はクミコさんの大ファンで、お互いのコンサートにゲストで出るなどの交流があります。以前は『車輪』という曲でデュエットさせていただきました。今回の新曲『小さな手』は、つんく♂さんが今年出版される子ども向けの絵本の趣旨に賛同したクミコさんが僕に声をかけてくれて、家族の絆を一緒に歌うことになりました。クミコさんは、湯川さんが作詞、つんく♂さんが作曲された『うまれてきてくれて ありがとう』という子守歌を15年に出されています。つんく♂さんとは、そのときのご縁だそうです。
クミコさんからは直筆のお手紙をいただきました。子と親のつながりを歌うのに、ひとまわり世代が違う人と一緒にやれたらいいと思ったので、といったことが書かれていました。クミコさんと僕は、ちょうど親と子ほどの年齢差です。一方、僕も自分の子どもたちの世代に歌をつなげていきたいと思い、「是が非でも」と受けさせていただきました。だから、3世代が楽しめる歌になっていると思います。
つんく♂さんとは、クミコさんと一緒の時に初めてお会いして、曲についてのお話しをしました。最初は子守歌という話だったので、世代の違う2人が歌う子守歌で、しかも男女のデュエット……つんく♂さんは、いろんな曲のパターンを考えていたみたいです。3人で「子守歌というと優しいイメージだけど、みんなで踊ったりできるといいね」とか「『パプリカ』みたいな感じですかね」と話したり、クミコさんは「私たちは、樹木希林さんと郷ひろみさんの『林檎殺人事件』みたいな感じじゃない」って笑ったりしてました。どんな曲になるんだろう、と僕も楽しみに待っていたら、届いたのはアップテンポで勢いのある曲。一瞬びっくりして、「攻めた楽曲だなあ」と思いました。つんく♂さんとは初対面以来お会いしていないのですが、コロナが大変になってきた状況で、やっぱり明るくて元気の出る曲がいいと思われたのでは、と想像します。
レコーディングは3月の終わり、緊急事態宣言が出る前でした。『桜の園』の舞台げいこをしている最中に、何週かにわたって歌入れしたのですが、最後の頃はスタジオにいるスタッフがだいぶ減っていたのを覚えています。クミコさんとは「まさかこんなことになるとはね」と話しながら、歌う機会が減ってきていた時期とあって、「声が出るかな」とか言ってました。最初に『きずな』を録音したときは、スタジオの様子は普段と変わりなかったのですが、次に『小さな手』を録音したときは2人の間にアクリル板がありました。まさにコロナ禍の最中に生まれた歌になりました。
『小さな手』には、とある方がすてきな振り付けをつけてくれました。クミコさんと一緒に、踊りながら歌います。僕は歌の当て振りのようなことはあまり経験がないので新鮮です。そのミュージックビデオはこれから撮ります。いよいよ本格的に動き出すんだ、と気持ちが高まってきています。
物語の中の登場人物が歌うように
僕がクミコさんを知ったのは、シャンソンの曲で物語のある歌を歌われていたのにすごくひかれたのがきっかけです。僕はミュージカルが好きなので、1曲の中にストーリーがある歌にひかれます。クミコさんはまさに、そういう歌い方。衣装を着けたり、動いたりしているわけではなくて、ただ歌っているだけなのに、物語の中の登場人物が歌っているように背景が浮かんでくる。自分もそんな歌手になりたい。
クミコさんは、今は亡くなった人たちの声や、苦しんでいる人たちの声を代弁して、自分の声として歌うということもしています。東日本大震災のときもそうでしたし、原爆で亡くなった少女の歌を歌ったりも。そんなところも共感できて、自分もそうありたい。歌い手として、自分の目標となるような立ち位置にいらっしゃるのがクミコさんです。
デュエットは以前もさせていただきましたが、一緒に歌わせていただくと、自分を引き上げてもらえるというか、学ばせてもらっているのを強く感じます。どういうふうに歌い出すのかとか、どういう解釈なのかが分かるので。でも、今回のレコーディングにあたって、過去の自分の歌を聴き直してみると、なんとかクミコさんに追いつけるようにと頑張っていたのでしょう。若い頃は、気張り過ぎていたり、染みるように歌わなきゃという感じが見え見えだったり、変にずらしてみたりしていました。
それに比べると今回は、クミコさんと歌う緊張やうれしさはもちろん変わらないのですが、自分の向き合い方が変わりました。気張ってもしようがないし、今の自分が素直に歌えることしか歌えない。そんな気持ちで臨んだら、自然な感じで歌えたように思います。
音域的には、僕はいつもより高い音を歌って、クミコさんはいつもより低い音を歌っています。そうすると、男女のデュエットではうまく音が合います。『小さな手』は同じメロディーを一緒に歌っているところも多いので、自分で聴いても、どれが自分の声で、どれがクミコさんの声か分からないくらい一体になっていると感じました。
クミコさんは僕の母と同世代で、母とも仲良くしてくれています。そんなこともあって、僕も息子みたいな気持ちで、歌手として引き継げるものは引き継いでいきたいと思っています。だからクミコさんと一緒にやれるのは、どんなことでもうれしいのです。
特に今回は、コロナ禍で音楽の活動が思うようにできないなか、なんとか仕上げて世に出せることになったので、忘れられない歌になると思います。僕にできることは、この曲たちを次の世代につなげていく橋を懸けること。大変なときだからこそ、届けたい。そんなみんなの思いが、いっぱい詰まった曲たちです。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP)。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第71回は2020年6月20日(土)の予定です。
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