日経ARIA

「世の働く母たちはこんなにぎりぎりの生活を送っているのか」

出産後半年ごろから、シンポジウムの司会やインタビューなど単発の仕事を始めた。子どもが3歳のときに、夜9時からの情報番組にレギュラーで復帰すると、心身への負担の大きさに驚いた。

朝は普通に起き、お弁当を作って子どもを幼稚園まで送り迎えをし、PTA活動も。夜、早く寝かせるために、公園で昼間に一生懸命遊ばせることもある。夕食の用意をして子どもをベビーシッターや夫に委ね、夜6時にテレビ局入り。生放送の準備をしてオンエア、反省会、家路に就くという日々を3年半続けた。

「夫はよく協力してくれましたが、私自身は体力と気力がぎりぎり、へとへとでした。そして周囲を見れば、私のようなフリーだけではなく、組織に所属して働いている女性たちも、みんな休む間もない。世の中の働く母たちは、こんな綱渡りみたいな、ぎりぎりの生活を送っているのかと、衝撃を受けました」

当初は自分のことでいっぱいいっぱいだったが、徐々に「女性にもう少し余裕があって、子どもに向き合えて仕事もできる。そういう生活ができている国もあるのに、こんな状態を強いている日本っておかしいんじゃないか。そんな疑問を抱くようになりました」。

育児疲れではなく更年期の不調だった

仕事の価値観も変わった。「20代、30代でニュース番組をやってきて、主婦の方たちへの取材もしていたけれど、その背景にどれだけ大変な日常があるのか分かっていませんでした」

報道の場で仕事を始めた当初、先輩たちに教えられたのが「自分の中で消化して、自分の言葉で伝える」ということ。どんなことであっても自分事として問題意識を持ち、自分の感性を基にした言葉で伝えれば伝わり方は全く違う、と常に意識をしてきた。だが「心を寄せているつもりでも、実は消化できていなかったことに気づきました」

その頃、三菱商事の環境・CSRアドバイザリーコミッティーから参加の依頼があった。環境問題や社会貢献に関する会合に出席したり、企業の視察をしたりしてメディアの立場から意見を求められた。当時担当した情報番組でエネルギーや環境問題を取り上げることも多く、「20代、30代のころには身に染みて感じていなかった社会的課題にどんどん意識がシフトしていきました」。

その後のガール・パワーとの出合いも必然の流れだった、という。2013年に設立されたガール・パワーは、シングルマザーの経済的自立への支援、インドの少女への衛生教育と生理パッドの普及活動、災害被災地の女性向け支援など、さまざまなプロジェクトがその上で動くプラットフォーム的な場だ。勝さんはチャリティーイベントの司会やセミナーのモデレーターなどを務める。

子育てもあり忙しく過ごす一方で、勝さんは40代半ばから身体的、精神的な不調を感じるようになった。

「まだ子育てに忙しいさなか、更年期の不調が始まったことになかなか気づかなかった」

最初はあちこちの関節が痛くなったり、気分が重くなったり。地下鉄に乗っていて呼吸が苦しくなり、やっとの思いで家までたどり着いたこともあった。「子育てで疲れているのかなと思ったのですが、今思えば更年期の始まりだったのですね」。50歳からはホットフラッシュも始まった。

産後の不調を経験して以来、かかりつけの婦人科クリニックには通っていて、漢方薬も飲んでいた。「40代後半で月経周期の乱れから血液検査をしたときに、女性ホルモンの数値が閉経後の状態に近いということが分かりました」。そのときに主治医からホルモン補充療法の説明を受けたが、「なぜか自然に任せるのがよいと思い込んでいて、始めませんでした」。

その後も不調は続き、52歳のときに血液検査や子宮頸(けい)部などの検査をした上で、主治医から再度ホルモン補充療法を勧められた。「その時点ではすがるような気持ちで、皮膚に貼るパッチのホルモン補充療法を始めました。すると、3週間でホットフラッシュが治まり、関節の痛みも消え、体が軽くなって、5~6年前はそういえばこのくらい元気だった、という感覚を取り戻したのです」

ホルモン補充療法は、パッチの他、飲み薬、ジェルなどさまざまな種類があり、効果は個人差があるというが「私の場合は、パッチが劇的な効果があったというわけです。もっと早くから治療を始めていれば、もっと早く楽になっていたのにと思います」。

痛感したのは、自分自身の体についてよく知らなかったということ。「女性の人生はこれほどホルモンの変動に影響されるのに、日々忙しいと無視したり、つい我慢して頑張ったりしてしまう。『あまり他人に言うことじゃない』と思って口に出さない人、親世代もそうだったからと思っている人が多いんです」

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女性の体のことは男性にも、経営者にも知ってほしい