アーティスト・スプツニ子!さん 「常に1番を」と母それでも親子

1985年東京都生まれ。米マサチューセッツ工科大メディアラボ助教などを経て2019年から東京芸術大准教授。性などを主題とした作品で知られ、代表作に「生理マシーン、タカシの場合。」など。 

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はアーティストのスプツニ子!さんだ。

――ご両親とも数学者だったそうですね。

「母は英国生まれで上智大学の数学の教授を、父は国立の統計数理研究所の教授でした。父は研究先の英マンチェスター大学で母と出会いました。2人とも統計の一分野である時系列解析が専門。最近の流行語で言えば、ビッグデータ解析で、脳波の動きからてんかんが起きる兆候を見つけたり、株価変動のパターンを見つけたりする研究です」

「家の中で両親はいつも数学の研究テーマなどを英語と日本語をごちゃまぜで話していました。海外の研究者もよく遊びにきました。両親の仕事の都合で私が6歳のときに家族で米スタンフォード大学のある米西海岸に住みましたし、11歳のときはニュージーランドに行きました」

「そんな環境に育って遺伝的なことも手伝ったのでしょう。算数・数学は子どものときから大得意。高校を1年飛び級し英国のロンドン大学に入学しました。数学とコンピューターサイエンスの両学部の学位を取れるコースです」

――ご両親は研究の道に進むことを期待したのでは。

「父は『これからは電子工学の時代が来る』とか『どの分野の研究者になるのがいい』とか、子どもの好奇心をくすぐるようなことを私によく言って聞かせました。母からは『常に努力して1番になりなさい』と言われました」

「1948年生まれの母は英リーズ大学の数学科を首席で卒業し、博士(Ph.D.)を25歳で取得した努力家です。大学受験の際に高校の教師から『数学は女性に向いていない』と止められました。親から『バカなことは聞かなくていい』と後押しされ、数学者の道を選びます。『1番になれば誰にも文句は言われない』が口癖で独力で自分の人生を切り開いた人でした」

――キャリアウーマンのお母さんには日本社会はとても窮屈だったのでは。

「母は来日時に日本の女性の社会的地位の低さに衝撃を受けたそうです。英国と比べ日本では残念ながら女性が出世しづらい傾向がありました。それで日本で育つ私に10倍、100倍の努力をするように話していました。私は大学で教える母の生き方をカッコいいと思ってきました。父も『女の子だから』といった対応を私に全くしなかったのはありがたかったです」

――大学院で芸術を選んだことには驚かれたのでは。

「『よくわからないけれどやりたいならやりなさい』という感じでしたね。子どものころから私の意思をずっと尊重してくれ、そのときも私の選択を尊重してくれた」

「両親は今は定年退職し、数学の本を書いています。いつまでに書き上げるとかといった目標や締め切りもなく、楽しんで書いている様子です。私の人生の姿勢もどこか似ていると思っています」


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