硫黄島に掲げられた星条旗 ピュリツァー受賞撮影秘話

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

1945年2月23日、5日間の激しい戦いを終え、硫黄島の最高峰に星条旗を掲げる米海兵隊員たち。ジョー・ローゼンタールが撮影したこの写真は全米で高く評価され、同年、ピュリツァー賞に輝いた(PHOTOGRAPH BY JOE ROSENTHAL, AP)

米国時間の20年5月4日、ピュリツァー賞が発表される。例年は4月の発表だが、新型コロナウイルスの影響で審査・発表が延期された。ピュリツァー賞には、ジャーナリズム、文学、作曲などの部門があり、日本では日本人受賞者もいることから写真部門がよく知られている。ここに挙げた写真も、1945年の同部門の受賞作で、「見たことがある」という人も多いだろう。今回は、その撮影の舞台裏を紹介しよう。

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1945年2月23日、日本軍が必死に守ってきた硫黄島の摺鉢山(すりばちやま)の頂に、米海兵隊が星条旗を掲げた。幸運にも、写真家のジョー・ローゼンタールはその場に居合わせ、不朽の一枚と呼ばれる写真が生まれた。数週間後、この写真は米国政府による第7回戦時国債キャンペーンのテーマとなった。この写真を絵柄に用いた切手もつくられ、写真のシーンは映画で何度も再現されている。

写真を見て米国人の誰もが思い出すのは、ワシントンD.C.からポトマック川を渡ってすぐのアーリントン国立墓地に立つ星条旗掲揚の記念碑だろう。ローゼンタールがAP通信に送った写真がそのままモチーフになっている。

この写真は、ローゼンタールがグラフレックスの大きな4x5in判カメラを、絶好のタイミングで適切な方向に構え、ファインダーものぞかずにシャッターを切って撮ったものだ。

写真はあまりに完璧だった。重要な瞬間をとらえ、兵士たちの勇気と絆が表現されており、芸術的構図の基準をほぼすべて満たしている。そのため、すべてでっち上げだったのではないかという疑いをかけられ、ローゼンタールは生涯にわたり、反論し続けることになった。

例えば、ローゼンタールが山頂に到着したのは遅かったという事実がある。だが、それが撮影の好機を生んだ。

ローゼンタールが標高170メートルの摺鉢山に登頂したとき、海兵隊員たちはすでに小さな星条旗を掲揚していたのだ。従軍写真家のルイス・ロウェリー二等軍曹は、この瞬間を撮影しているが、山頂に突如現れた星条旗を見た日本軍は一斉に銃弾を浴びせた。弾をよけようと伏せたとき、ロウェリーのカメラは壊れてしまった。そこで、ロウェリーは新しいカメラを取りに下山した。このとき、ロウェリーは必死に山頂を目指すローゼンタールとすれ違った。「星条旗はもう掲げられたよ」と、ロウェリーは、ローゼンタールに悪い知らせを伝えた。

それでも、いい写真が撮れるかもしれないと考えたローゼンタールは山頂を目指した。ローゼンタールが頂にたどり着いたとき、ちょうど海兵隊員たちは2つ目の大きな旗を準備していた。島のどこからでも星条旗が見えるように、海兵隊の幹部が望んだからだ。

一般に、従軍写真家に2度目のシャッターチャンスが巡ってくることは、まずない。その、めったにない2度目のチャンスが巡ってきたと、ローゼンタールはすぐに気付いた。そこからは時間との勝負だ。2つ目の旗が掲げられるまでのわずかな時間で、絶好の場所でカメラを構える必要がある。身長165センチほどと小柄なローゼンタールは土のうを重ね、その上に立った。

近くにいたビデオカメラマンが「君の邪魔になっていないか?」と尋ねた。声をかけられたローゼンタールは振り返り、あやうく「世紀の1枚」を逃すところだった。

実はローゼンタールは弱視だったため、米陸軍の従軍写真家になることができなかった。ただ、従軍写真家に欠かせない反射神経に関しては、ローゼンタールは「猫並み」に優れていた。ローゼンタールは目の端で、はためく星条旗を掲げようとする海兵隊員たちの姿をとらえると、すぐさま振り返り、カメラを構えてシャッターを切った。あとは、運を天に任せた。

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