タクシー後部座席の先生たち 桜の案内人・良識の子…鉛筆画家 安住孝史氏

旧中山道・板橋の夜桜(画・安住孝史氏)
旧中山道・板橋の夜桜(画・安住孝史氏)
夜のタクシー運転手はさまざまな大人たちに出会います。鉛筆画家の安住孝史(やすずみ・たかし)さん(82)も、そんな運転手のひとりでした。バックミラー越しのちょっとした仕草(しぐさ)や言葉をめぐる体験を、独自の画法で描いた風景とともに書き起こしてもらいます。(前回の記事は「『ひがしおおうら』ってどこ タクシー、地名の迷い道」

新型コロナウイルスが猛威をふるっています。感染拡大を抑えるために密閉・密集・密接の「3密」を避けなければいけませんが、タクシーの車内というのは小さな密室みたいなものです。運転手をしていたころ、インフルエンザが流行すると、運転手側の窓を少し開け、空気がこもらないようにして走ったことを思い出します。

桜と校門前の親子はお似合い

東京は3月末に雪まで降りました。なんだか異常なことばかりの春ですが、美しく咲く桜の花は、季節が確実にめぐっていることを実感させてくれます。

この季節にタクシーで都心を運転していると、桜の花びらがフロントガラスに舞い降りることがあります。大きなビルばかりで桜の樹が見あたらないのに、このひとひらはどこから旅をしてきたのかと、いとおしくなります。あるいは、あちこちの小学校の前を通り過ぎるとき、校門そばの桜の下で卒業や入学を祝う親子の姿を目にすることもあります。僕はこの情景が大好きです。希望に満ちた笑顔と桜、これほどお似合いのものはありません。

ときどき風流なお客様に会えるのも、タクシー運転手の楽しみのひとつでしょうか。東京都豊島区の西巣鴨で「エスビー通り(富士見街道)に向かってください」と乗ってきた男性がいました。まっすぐ中山道を走るのが普通なのですが、途中で「旧道(旧中山道)を通ってください」との指示です。少し遠回りかと思いましたが、その通りにしますと、そのお客様は「いま板橋の桜が満開だと思う」とおっしゃいます。そして石神井川に架かる板橋にさしかかると、両岸の桜が本当に満開でした。バックミラーで後続車両がないことを確認し、少しだけ車をとめました。すてきなお客様がいるものだなあと、しみじみ感じ入りました。

ちょっと話がそれますが、小学校と言えば、思い出すことがあります。

昔、新学期が始まって間もない時期だったと思います。60歳くらいの男性が後部座席から身を乗り出すようにして話しかけてきたことがありました。女子校で先生をされているということです。1週間前に行儀の悪い生徒を注意して「親の顔が見たい」と口にしたら、なんと昨日、父親がうれしそうな顔をして現れたというのです。親の顔が見たいというのは、ほめ言葉ではありませんから、先生は対応に窮したそうです。きのうのきょうですから、だれかに話したかったのでしょう。僕は失礼ながら笑ってしまい、先生も笑っておられました。

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