2020/5/12

「研究室」に行ってみた。

2018年の現在、これを「新しいもの」と理解する人が多いとは思うが、今の学生世代にとっては、自らが知的キャリアを積み始めた時点で、すでに実用化されていた手法だ。だから、まったくのゼロから始める必要はなく、既存の環境で行う既存の研究を出発点にできる。これを読んでいる読者のパソコン環境が、Macであれ、Windowsであれ、Linuxであれ、ディープラーニングのフレームワークの「PyTorch(パイトーチ、と発音)」にアクセスして、適したパッケージをダウンロードすれば、たちどころに開発環境、研究環境だけは研究者と同じになって、出発点に立てる。特にゲーマーで、高性能のグラフィックボードを搭載している人は、それだけで有利だ。ぼくはそれを山口さんに教えてもらい、とりあえず自分のMacにインストールした(しかし、残念ながら、「手書き文字」の認識のデモデータを扱ってみただけで、以降、何も始まっていない)。

川端裕人さん。

まったく恐ろしい時代だ。というか、楽しい時代だ。

「本当にそうですよね」と森島さんも同意する。「ディープラーニングには否定的だったと言っておきながら、実は僕、30年前の知的通信の研究の時に、ニューラルネットの研究をやってたんです。その当時は、例えば人間の感情を2次元空間にどういうふうに効率的に配置できるかとか、要は2次元の感情空間みたいなものをニューラルネットを使って学習させたりしてたんですけど、実はやってることは今と同じなんですよね。当時は計算機が遅かったので、レイヤーも5層にしたら精いっぱいで、それを1個増やすともう計算が1週間後になるとか、単純に計算してると100年後だとか、そんな時代だったので。今はやっぱり計算のパフォーマンスが上がったおかげで、もっとぶん回せるようになったっていうとこが大きな違いです」

そして、こんなふうに付け加えた。

「実はね、もう僕にとっては、ディープラーニングがブラックボックスだというのと同じように、学生が何を考えているかというのもブラックボックスなんです。もちろん研究計画を聞いて、手順を聞いて、そういうことかと理解するわけですが、それでも細かい点まではフォローし切れないですから。あとで聞いて、そこはそう処理したんだとか知ることになります。研究スタイルも過去の積み上げに基づいて進めるというよりも、若い人の新しい思いつきや発想がものをいう時代になったということです。もう、どこが教育だって、何を教育してるんだって話です」

森島さんは、大きな声で笑った。

森島繁生さん。

研究業績に上下はない。

しっかり研究して世界に飛び出せ!

そのように動機づけられた学生たちが、本当にそこから羽ばたけるのは、本気で後押しをする森島さんのような先生と、その分野の特性による。研究に上下はないというのが事実だとしても、一つの研究を完結させるために何十年かかる分野だってある。自分の知識、スキル、そして、多少、性能の良いパソコンがあれば、最先端に飛び出せる可能性が充分にあるこの分野は、森島さんが好きな言葉を借りると「下剋上」が可能な世界だ。

だからこそ、こういうところの若い研究者たちがどんどん世界に飛び出してくれるのは大変望ましい。自分たちだけで完結してぐるぐる回ってしまいがちな我らのカルチャーを、外に向けて開く人たちとして活躍してほしい。

つまり、ぼくらの文化の「顔」になってください、と。

最初「顔」の研究を知りたくて、訪ねたはずが、一番、印象づけられたのはまさにこの部分だったと正直に告白しておく。

=文 川端裕人、写真 内海裕之

(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2018年8月に公開された記事を転載)

森島繁生(もりしま しげお)
1959年、和歌山県生まれ。早稲田大学先進理工学部応用物理学科教授。工学博士。1987年、東京大学大学院電子工学博士課程修了。同年、成蹊大学工学部電気工学科専任講師に。同助教授、教授を経て2004年、早稲田大学先進理工学部応用物理学科教授に就任、現在に至る。その間、1994~95年にトロント大学コンピューターサイエンス学部客員教授、1999~2014年に明治大学非常勤講師、1999~2010年に国際電気通信基礎技術研究所客員研究員、2010~2014に年NICT招聘研究員も務めた。1991年、知的通信の先駆的研究により電子情報通信学会業績賞を、2010年電気通信普及財団テレコムシステム技術賞を受賞。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『青い海の宇宙港 春夏篇』『青い海の宇宙港 秋冬篇』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、ブラインドサッカーを舞台にした「もう一つの銀河のワールドカップ」である『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。