東大大学院教授・柳川範之さん 海外暮らしで家族の絆
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は東大大学院教授・柳川範之さんだ。
――子ども時代は海外暮らしが長かったそうですね。
「父は銀行員で、私が小学4年の時に家族を連れてシンガポールに赴任しました。当時、シンガポールは独立して10年もたっておらず、まだ発展途上国でした。私は平日こそ日本人学校と自宅の間をスクールバスで往復していましたが、休日は家族で街に出て異文化に触れました」
「ネットもない時代ですから、誰かが正しい情報をくれるわけではなく、何をするにも自分たちで情報を得て、判断するしかありませんでした。家族のベンチャースピリットはシンガポールで培われたのだと思います。私も父の職場を訪ねて、働いている姿を見ることができました。家族の絆が強まりました」
「母は専業主婦でしたが、大学の英文科を卒業していたこともあり、シンガポールに引っ越す前も『面白そう』と楽しみにしていました。でも行ってみると右も左もわからない。家族が病気になったときにどこの病院にかかればいいかを、熱心に調べていた姿を思い出します。今の時代でしたら、バリバリ働くタイプではないでしょうか」
――ブラジルにも行かれたとか。
「中学を卒業後、父親の転勤でブラジルに行きました。ポルトガル語がまったくできなかったので高校には行かず、日本から持って行った参考書で勉強しました。『これからはサラリーマンの時代じゃない。資格をとるべきだ』と父に助言されました。公認会計士をめざし、簿記や会計学の本も読んでいました」
「ブラジルは当時、ハイパーインフレで毎日ものすごい勢いでものの値段が上がっていました。後に経済学者となったわけですが、いい社会勉強ができたと思います」
「帰国後、大学入学資格検定試験に合格したのですが、父が再びシンガポール赴任となり、ついていきました。現地で、慶応義塾大学経済学部の通信教育課程を受けました。はじめ、経済学はさっぱりわからなかったのですが、本を手当たり次第買って勉強しているうちに面白くなり、両親に学者になりたいと打ち明けました。家族には何でもよく話しました」
――昨今は子供の受験などを理由に、単身赴任する父親が多いようです。
「親の海外赴任についていくと受験にマイナスになると思う人も多いですが、勉強はどこでもできます。日本にいると自動ドアを次々通っていくような人生になりますが、自分たちで扉をつくっていく人生を学びました」
「母は60歳手前で亡くなりましたが、その後定年を迎えた父はオーストラリアに移住し、今はマレーシアで暮らしています。普通の人じゃなかったんだなと思いますが、おかげで面白い自由な生き方ができた気がします」
[日本経済新聞夕刊2020年4月7日付]
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