今回の『桜の園』では、KERAさんは「チェーホフをそのままやって面白いことが大事だと思う」と言われました。書き換えたり、アドリブを入れたりすれば、いくらでも面白くできると思うけど、今回はそれをやっても意味がないんだと。だからセリフも、語順を多少変えたり、言い回しを変えたりした箇所はありますが、大きくは変えていません。
チェーホフの戯曲は、いまだに「悲劇か? 喜劇か?」と言われているくらい、解釈によって全く違う作品になります。というのも、演じてみて分かったのですが、役柄についての説明がないから。普通の戯曲では、この人はどういう人で、だからこうするとか、この人とこの人の関係はこうだ、という説明をある程度してくれているのですが、チェーホフは何も書いていない。僕の役も、ある人にすごく突っかかって、嫌な口のきき方をしたりするのですが、理由は書かれていません。そこを自分で埋める作業が必要になります。
チェーホフにしかない味わいや手触り
『桜の園』は、抵当に入れられていた領地が競売にかけられるという話です。普通に考えると、売れるか、それとも売れないか……ああ、売れた!みたいな瞬間が物語のピークになりそうですが、チェーホフは違います。そういうドラマチックな場面は出てこなくて、その前や後を描きます。ドラマは起こっていることではなくて、その周辺にある。派手な出来事をそのまま見せるのではなく、それによって人が受けた影響で、何があったのかを感じさせる。それはKERAさんや井上ひさしさんの作品もそうで、似ているなと思っていたら、やっぱり2人ともチェーホフが大好きでした。
僕はチェーホフをよく知らなかったのですが、一番ドラマチックな瞬間を歌にしようというミュージカルとは正反対の美学なので、なじみがなかったのかなと思いました。でも知ってみれば、チェーホフの戯曲ははっきり書かれていない分、いろんな想像ができるし、演出家や役者が行間を埋めることができる。それゆえに味わいがとても深くて、自分の人生の中でもあったことだな……とか、時代も国も違うけど人間は一緒なんだな……ということが伝わってきます。すごく情感豊かな戯曲なのです。
KERAさんも、チェーホフにしかない味わいや手触りがあって、それでしか伝えられない物語がある、と言われています。僕も、だから面白い、と思って演じているのですが、だから難しくもあります。そんな『桜の園』が12日まで公演中止となったのは本当に残念ですが、その間も役作りはしっかり続けていきます。

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第66回は2020年4月18日(土)の予定です。