50歳でOLから芸能界 映画『カメ止め』で個性開花
大ヒット映画『カメラを止めるな!』で強烈なインパクトを残し、今やドラマや映画で引っ張りだこの女優、どんぐりさん(59歳)。「遅咲きのシンデレラ」は、50歳まで証券会社や裁判所で働くOLだった。「諦めずに"自分探し"を続けたら運が巡ってきたんです」と語るどんぐりさんに、自分らしい働き方や生き方を見つける方法を聞きました。
「話し方教室」などをきっかけに表現に目覚める
思い立ったら行動派。証券会社で昼夜問わず働いていた33歳のとき、「自分の時間が欲しい」と退職。「もっと自分に合う仕事があるのでは」と、派遣社員に働き方を変え、フラワーアレンジメントなど数々の習い事をかじったが、仕事につながらなかった。
次の転機は、裁判所の臨時事務官だったとき。「自分の話が相手に通じていない」と感じて話し方教室へ通い、そこでの落語の授業が面白くて今度は落語教室へ。表現する楽しさに引き込まれたが趣味で終わり、50歳を迎える。
そこで思い出したのが、織田信長が「人間50年」と舞う大河ドラマのワンシーン。「自分が信長やったらもう死んでるやん! 残りの人生、本当にやりたいことをやろう」。
50歳の節目に自分らしく生きようと仕事を辞める
仕事を辞め、20代の頃に憧れた吉本総合芸能学院(NSC)の門をたたき、"笑い"を勉強。卒業後、ピン芸人として花は咲かなかったが、表現することを学び続け、『カメラを止めるな!』のオーディションに応募して合格。気づけば、映画祭のレッドカーペットに立っていた。
演技するとき、上田慎一郎監督に「そのままでいいから」と声を掛けられた。「うれしかったんです、コンプレックスだった個性を認めてもらえたようで。59歳にしてようやく自分の進む道が見つかりました」。
以前から「事務職は向いていないのでは?」とモヤモヤ。裁判所の臨時事務官として働きながら、西天満亭どんぐりとして老人ホームの慰問で高座に。
<50歳の節目で、やりたいことをやろうと決心>
【After】仕事を辞めてお笑いへ 映画出演を機に女優に
お笑いや演技など、面白そうと思った「表現すること」にどんどんチャレンジしていった。現在、テレビや映画、講演など多方面で活動中。
自分らしい働き方や生き方にシフトするための6つの問い
Q ライフシフト後の不安は?
A 変わる前のほうが先が見えず不安だった
「OL時代のほうが先が見えず不安でした。実家暮らしで多少貯金はあったので、退職してもお金の不安はさほど感じず。新しいことへの挑戦にワクワクしていました」
Q つらいときはどうした?
A 平原綾香さんの『Jupiter』に支えられた
「いい年して仕事も辞めて」という周囲の声も…。平原綾香さんの『Jupiter』には、自分を信じられなくなることが夢をなくすよりももっと悲しいこと、といったメッセージが込められていて、その思いに励まされた。
Q 働き方&生き方を シフトできた秘訣は?
A 「幸せを感じる気持ち」に正直になって行動した
「運です。でも運をつかむために自分が幸せを感じるアンテナを張り巡らせ、やりたいと思う気持ちに素直になってとにかく行動。毎日新しい発見があって幸せです」
Q 健康法は?
A お手製ジュースで風邪知らず
バナナやリンゴ、ホウレン草などの野菜、ところ天、牛乳に、酢を少々入れてミキサーでジュースにして、毎朝飲む。「これを飲んだら風邪引きません!」
Q 今後の目標は?
A 100歳まで生きてみんなを笑顔にしたい
自分の個性はコンプレックスだったが、ありのままの自分でいいと思えるように。「目の前の仕事にチャレンジし、100歳まで生きてたくさんの人を笑顔にしたい!」
Q ライフシフト後の収入は?
A OL時代よりダウン
「ピン芸人になった直後は、OL時代よりダウン。おかげさまでこの1年でアップしていますが、衣装代などの経費も。新しい経験をさせてもらえることに感謝しています」
諦めないで行動し続けたら、自分の進む道が見つかった
「落語の大会で審査員の方に『あなたには人にまねできないものがある』と言われて自分の強みを知り、映画のオーディションに合格したときは『生きにくそうな人を選んだ』と私の個性を受け入れてもらった。年齢に関係なく失敗を恐れず、諦めずに行動したら、今につながりました」
(構成・文 高島三幸、写真 宮田昌彦)
[日経ウーマン 2019年12月号の記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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