私は3人兄弟の真ん中。幼いころは引っ込み思案でおとなしい性格でしたから、舞台でお客様を笑かす今の姿は家族の誰もが想像できなかったはずです。

家族で正月の食卓を囲む(右から2人目がすっちーさん、3人目が父親の攻一さん)

ただ、商売人の父は子どもの友達が遊びに来ると冗談を言って笑わせていたから、お笑いのDNAは父譲りかなと思います。今も元気で、子供服の通信販売の会社を営んでいます。

摂津市立摂津小学校のとき、仲が良かったのが、後に漫才コンビ「ビッキーズ」を組む木部信彦君、木部ちゃんです。高校でいったん離れましたけど、遊ぶときはいつも一緒でした。

大阪府立茨木西高校の同級生には漫才コンビ、ナインティナインの矢部浩之さんがいらっしゃいます。同級生でも芸歴は先輩なので「さんづけ」。矢部さんはサッカー部で背が高かったから、女子の憧れの的でした。

サッカー部の1学年上には矢部さんの相方となる岡村隆史さんが在籍されていました。私も岡村さんも身長が低く、岡村さんが近くを通るたびに「どっちが低いやろ?」とチェックしていました。関西ローカルのテレビ番組でご一緒させていただくと、高校時代の思い出話に花が咲くこともあります。

――高校卒業後は専門学校に進み、自動車整備士になる。だが1年足らずで辞め、幼なじみの木部ちゃんを誘ってお笑いの道に進んだ。

中学のころからオートバイに関心があり、専門の雑誌を読みあさりました。高校生になると、校則でバイクの運転が禁止されていたにもかかわらず、アルバイトでためたお金で免許を取ってバイクを買い、隠れて乗り回していました。

バイクや機械いじりが好きだったので自動車整備士を養成する専門学校に進み、そこで木部ちゃんと再会しました。就職先は再び分かれましたが、2人とも自動車整備士になりました。

ただ、一日中、仕様書通りに車を相手に黙々と作業するのは性に合いませんでした。1年ほどで退職し、アルバイトをしながら過ごしていたとき、お笑いの世界に進んでみようかと。ダウンタウンさんの出ている番組を見るなど、お笑いが好きでしたし、関西では常に身近な仕事でもありましたから。

お笑いの登竜門といわれる吉本総合芸能学院(NSC)に行かねばと受験したら、結果はまさかの不合格! 面接試験会場で周囲を見やると、受験票をわざと半分燃やすなどウケ狙いの若者ばかりでした。

あきらめきれず、タレントや映像制作にかかわる人材を育成する放送芸術学院専門学校(大阪市)に木部ちゃんを誘って入りました。木部ちゃんは自動車整備士としての腕も良く、会社からは「やめとけ」と引き留められたようです。

幼なじみと漫才コンビ

――吉本興業の劇場「心斎橋筋2丁目劇場」(大阪市)で開かれていた若手芸人のオーディションに合格。幼なじみの木部ちゃんとの漫才コンビで、1996年にデビューした。

同じ時期にオーディションを受けに来ていたのが宇治原史規君(京都大学卒)と菅広文君(大阪府立大学中退)、高学歴漫才コンビの「ロザン」です。いつも黒い服装で決めていたから「黒服コンビ」と呼んで、ライバル視していました。

漫才コンビ「ビッキーズ」として活躍したが…(右がすっちーさん、吉本興業提供)

コンビ名をどうするか? 当初は「LSD」として活動しました。リミテッド・スリップ・デフの略称で、自動車の駆動輪の片方が空転したとき、もう一方に力を伝えるための装置です。自動車整備士出身のコンビだから、これにしようと。

ところが吉本社内の会議で「合成麻薬の意味もあるから、テレビ出演時に変更を迫られるのでは?」と意見が出ました。木部ちゃんと考えて「ビッキーズ」にしました。

2人ともデビュー時は24歳。ロザンやほかの若手はみんな年下。オッサンだから、彼らと同じことをやっていては目立ちません。ハッピを着て登場時に飴(あめ)をお客様にまくスタイルを取り入れました。

――コンテストに受賞したり、テレビにも出演したりと人気を得るが、デビュー後11年で解散してしまう。

漫才をしていれば誰もが年末恒例の大会「M―1グランプリ」での優勝を目指します。ビッキーズも出ましたが、何度も準決勝で敗退。決勝の舞台には立てませんでした。

当時は結成から10年までが出場資格。2006年は最後の挑戦と覚悟を決めて「最後なので頑張ります!」と意気込んだら、スタッフから「もう1年行けますよ」と言われてあぜん。勘違いでした。気勢をそがれ本番もダダ滑りに終わりました。

その後、木部ちゃんと話し合いを重ね、07年10月に解散しました。長く活動するうち、2人の間に意識のズレが生じていたというか。木部ちゃんは劇場を中心に安定的に稼ぎたい、僕はテレビ出演もこなして顔を売って、上を目指したい……。

漫才も自分のマシンガントークとボケが中心で、木部ちゃんがたびたびツッコミを入れるスタイル。幼なじみのままでビジネスパートナーになりきれなかったのが原因だと思います。

木部ちゃんは芸能界を引退し、先輩芸人のたむらけんじさんが社長を務める焼肉店などの運営会社で働き始めました。しばらく会うこともありませんでしたが、18年夏にシャンプーハットさん主催のイベントで、解散から11年ぶりにビッキーズを復活しました。木部ちゃんは少し太りましたが、元気な姿を見せてくれました。

木部ちゃんと別れた後の私はイベントなどに参加していた縁もあり、吉本新喜劇に入りました。同じ吉本でも、漫才などの色物と新喜劇は異なるため、いわば途中入団のような形です。漫才コンビ「若井小づえ・みどり」として活躍され、現在では「おじゃま、パジャマ♪」のギャグで人気の若井みどり師匠らと一緒でした。

新喜劇で再出発、座長に

――35歳の時に漫才コンビ「ビッキーズ」を解散し、吉本新喜劇に入団。現在の芸名「すっちー」を名乗り始めた。

本名は須知裕雅(すち・ひろまさ)といいます。子供のころ、私は友人から「スッチャン」と呼ばれていましたが、兄と弟は「スッチー」でした。ピン芸人としてスッチーの方が分かりやすいかなと。

先輩芸人の陣内智則さんを通じて占師の方に見ていただき、ひらがなを薦められました。片仮名だと客室乗務員の以前の名称(スチュワーデス)の略語になりますし。

新喜劇では新入り。新人や若手は楽屋に早めに来て雑用をこなすのが新喜劇のしきたりです。男性楽屋の化粧道具を洗おうとしていたら、一足早くオーディションで入っていた後輩の吉田裕君が「僕らの仕事ですから」と代わってくれました。

漫才と新喜劇では笑いの取り方が違います。漫才はテンポの良い会話で間髪入れずに笑いを取ります。一方、新喜劇は芝居の流れの中で最後にお客様を爆笑の渦に巻き込めばいいので徐々にネタを振ります。沈黙もボケの前振りだったりします。

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妻からも「すち子ちゃん」
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