父の死で人生に迷い 行き場失った子犬が救ってくれた
かけがえのない家族の一員として、動物との暮らしを楽しんでいる女性は多いはず。物言わぬ彼らですが、時に心を幸せな気持ちで満たし、時に沈む気持ちにそっと寄り添ってくれます。「この子のためなら何でもする!」とまで思わせる存在かもしれません。人生に豊かな彩りを運んでくる最愛のパートナーであるゴールデンレトリバーのりんなちゃんと、猫のトロちゃん、チャナちゃんとの物語を紹介します。
東京・赤坂といえば、言うまでもなく大都会のど真ん中。「隣近所」などという言葉とは無縁の場所なのではと思いきや、門馬香織さんが2匹の猫と1匹の犬と暮らす街には、昔ながらの下町の雰囲気が漂っていました。
ゴールデンレトリバーのりんなちゃんを連れて商店街を歩けば、次々に顔見知りとすれ違い、「こんにちは~」と声を掛け合う門馬さん。ネイルサロンにお花屋さん、クリーニング屋さん……散歩の途中で立ち寄ると、りんなちゃんにおやつを用意しておいてくれるお店がそこかしこにあります。「こんなふうにご近所との交流が生まれたのも、りんなが来てくれたおかげです。深夜まで商売をしていますから、以前はモグラみたいな生活でした」
先住猫たちに「子犬が来るよ」と言い聞かせた
門馬さんは赤坂にある紹介制のバー「卯左木(うさぎ)」のママ。りんなちゃんは今から7年前、常連のお客さんから譲り受けました。
「その方は前年に愛犬を亡くしていて、落ち込んでいる奥様を喜ばせようと同じ犬種のりんなを買ったんです。でも実は奥様はペットロスになっていて、『まだ無理です』と。最初は里親になってくれる方を一緒に探したのですが、結局私が飼うことになりました」
門馬さんは大の動物好きですが、子どもの頃から飼っていたのは主に猫。当時も猫3匹と暮らしていました。それが、昨年18歳になったトロちゃんと16歳になったチャナちゃん、そして昨年1月に天国へ旅立ったベニちゃんです。「大型犬と暮らすとは夢にも思っていませんでしたが、りんなを引き取ると決めてからは『子犬が来るよ、一緒にみんなで仲良く暮らすんだよ』と毎日猫たちに言い聞かせました」
そうして迎えたりんなちゃんは、生後3カ月ですでに体重は6キロ。「連れて帰って猫たちに会わせたら、『え、子犬って言ったよね? 小さくないよね?』っていう顔をしていました」と門馬さんは笑います。
りんなちゃんがやってきた30代半ばの頃、門馬さんの生活は少々「壊れて」いました。
父の死で人生に迷い 酒量が増える日々
もともとバーの仕事は昼間に企業などで働くかたわら、アルバイトで始めたもの。門馬さんは15歳のときに母親を亡くしていて、病気で入退院を繰り返す父親を姉とともに支える必要があったためでした。
「母は生前スナックを営んでいたのですが、生活のためにやむなく仕事をしている感じで、楽しそうではありませんでした。無理がたたって体調を崩し、早世したこともあり、水商売にどうしてもネガティブな感情しか持てずにいました。でも、今のお店でアルバイトを始めて着物姿のママに初めて会ったときに、光り輝いて見えたんですね。もともと京都で人気ナンバーワンの舞妓(まいこ)さんで、出身の東京に戻ってきて『卯左木』を始めた方。まるで後光が差しているようで、これがオーラというものかと強い憧れを抱きました」
お店での仕事は楽しく、お客さんにも恵まれて、門馬さんの中で水商売に対するマイナスイメージが払拭されていきました。28歳でバーの仕事1本でいくことを決めてチーママになりますが、31歳のときに父が10年間の闘病の末に亡くなると、一度道を見失ってしまいます。
「父親のために頑張らなくてはという部分もあったので、それがなくなってほっとする一方で、自分が必要とされなくなった虚無感みたいなものがありました。振り返れば20代のときには結婚の話もあったけれど、そのときはまだやり残したことがあるような気がして結婚という選択ができなかったんですね。いつか自分の店を持ちたいとは思っていましたが、今のまま働き続けることもできるし、仕事もプライベートも迷いが多く、お酒を飲まないと眠れない日々が続いていました。りんなが来たのはそんなときでした」
毎日の散歩が気づかせてくれた新しい世界
仕事でお客さんと飲み、閉店後も別の店に寄って飲み、家に帰って昼まで寝る生活。猫たちはそんな門馬さんに黙って寄り添ってくれていましたが、犬はそうはいきません。家に来たばかりの頃は数時間おきに起きてトイレの世話をしなくてはならず、猫たちがりんなちゃんの存在になかなか慣れなかったため、昼間は毎日外へ連れ出すように。「そんな生活を始めたら、仕事の後に飲んでなんていられません。必然的に健康的な生活に改善されました」
りんなちゃんとの散歩は思い悩んでいた門馬さんの心身を癒やし、それまで気づかなかった世界を見せてくれました。「冬には足元に霜柱が立って、春になったらツクシが生えて。『もうすぐ桜が咲くな』とか、季節を感じられるようになったんです。あと、朝はよくりんなと一緒にカフェに行ってぼーっとするんですが、以前はそういう余裕もないくらい、せわしなく過ごしていたことにも気付きました」
一方で、猫たちとの関係にも発見がありました。「猫はトイレとご飯と日当たりのいい部屋があれば、私が家にいなくても自由に過ごしてくれるし、それでいいと思っていたんですね。でもりんなが来て私が家にいる時間が長くなったら、猫たちも甘えてくるようになったんですよ。そのとき、本当はさみしかったんだなあって、切なくなりました」
犬への愛情は激しく、猫にはじんわりと伝わっていく
りんなちゃんは今や32キロの堂々たる体格で、家の中でも元気いっぱい。かたやトロちゃんとチャナちゃんは1日のほとんどを静かに寝て暮らすおばあちゃん。取材の途中でリビングに現れたトロちゃんは、門馬さんの腕に抱かれて幸せそうにウトウト。チャナちゃんのほうが少々臆病で、隣の部屋でひっそりこちらの様子をうかがっているようでした。
「犬も猫も、私にとってはかけがえのない存在です。ただ、愛情の伝わり方が少し違うかな。りんなのほうが一緒に過ごす時間が長いし、お互いの感情が激しく伝わる感じなのに対し、トロとチャナはそばにいて当たり前で、愛情もじんわりとしたものかもしれません」
りんなちゃんが来たことが転機となり、門馬さんの心の迷いも少しずつ晴れていきました。4年前には先代ママが体調を崩したことを機にお店を譲り受け、「卯左木」の2代目ママに。大ママになった先代とともに、大好きなお店を切り盛りしています。時にはりんなちゃんが一緒に「出勤」し、庭で過ごすことも。気立てのいいりんなちゃんはお店でも人気者です。
「お客様は多種多様な職業の方がいらっしゃるのでお話しするのがとにかく楽しく、とても勉強になります。店長をはじめスタッフや周囲の環境にも恵まれて、日々幸せを感じながらお仕事をさせていただいています。
自分がお酒を飲むときは明るい人に会いたいので、お客様に楽しい時間を過ごしていただけるよう、常に一定のテンションを保つように心がけています」
動物たちに優しいまなざしを注ぎながらそう話す門馬さんの笑顔は、とびきり輝いていました。
(取材・文 谷口絵美=日経ARIA編集部、写真 鈴木愛子)
[日経ARIA 2019年10月25日付の掲載記事を基に再構成]
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