
約6万年前、現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカからの大移動を始め、世界のすみずみに散らばっていった。欧州と中東に広がっていたネアンデルタール人などと交雑したが、アフリカ人にはこの交雑の証拠はほぼないと思われてきた。ところが、2020年1月30日付けで学術誌「セル」に発表された論文で、現代のアフリカ人が持つネアンデルタール人由来のDNAは従来考えられていたよりも多いという、驚くべき事実が明らかになった。
交雑を示す証拠は、多くの現代人の遺伝子にはっきりと残っている。ヨーロッパ人とアジア人のゲノムの約2%はネアンデルタール人に由来すると考えられていた。アジア人はこのほかにネアンデルタール人と近縁のデニソワ人のDNAも持っていて、特にメラネシア人では6%にもなる。今回の論文ではヨーロッパ人が持つネアンデルタール人由来のDNAも、これまで考えられていたより多いことが明らかになった。
論文著者である米プリンストン大学の遺伝学者ジョシュア・エイキー氏は当初、結果を信じられなかった。「そんなはずはないと思ったのです」と氏は振り返る。しかし、1年半にわたる厳密な検証の末、氏らは自分たちの正しさを確信するようになった。
再びアフリカに戻った現生人類
研究の結果、アフリカ人のゲノムのうち約1700万塩基対は、ネアンデルタール人に由来することが明らかになった。しかもその一部は、ネアンデルタール人が直接アフリカに渡ったというよりも、ヨーロッパからアフリカに戻って来た現生人類がもたらしたようだ。
現生人類の初期の移動については、「アフリカを出たら二度と戻らなかったという説があります」とエイキー氏は言う。しかし今回の結果や近年の研究からは、その説が正しくなかったことが浮き彫りになる。「橋は一方通行ではなかったのです」
「パズルのすき間を埋める非常に良いピースです」とドイツのマックス・プランク進化人類学研究所の計算生物学者ジャネット・ケルソー氏は話す。「きわめて複雑な全体像が見えてきました。遺伝子の流れは1つではなく、人類の移動も1回きりではありません。数多くの接触があったのです」
しかし、人類の起源の複雑さを解明するには、その曲がりくねった道を解きほぐす手法を開発しなければならない。
交雑の謎を解く新手法
科学者たちは長年、現生人類とネアンデルタール人の関係について考えてきた。問いの中身は時代とともに変化してきたが、この数十年にわたり論争の的になってきたのが「現生人類とネアンデルタール人は交雑したのか?」という問題だ。2010年にネアンデルタール人の全ゲノムが初めて発表されたことで、科学者たちはついにその答えを手にした。「イエス」だ。
ある研究で、ネアンデルタール人のDNAを5人の現代人と比較したところ、ヨーロッパ人とアジア人にはネアンデルタール人と交雑した痕跡がある一方、アフリカ人にはそれがないことが明らかになった。その後の研究で、アフリカ人もわずかにネアンデルタール人由来のDNAを持つことがわかったが、人類の系統樹のもつれた枝を解きほぐすには至らなかった。
エイキー氏らは、こうした遺伝子の混合を今までにない視点から調べる新たな手法を開発した。現代人のゲノムに散らばっている別の人類のDNAを知る方法だ。
現代人とネアンデルタール人の交雑を追跡する従来のモデルでは、ネアンデルタール人などのDNAを持っていないと考えられるグループのゲノムを参照集団として利用してきた。参照集団に選ばれるのはたいていアフリカ人だった。
「この仮定は妥当ではありませんでした」と米ウィスコンシン大学マディソン校の古人類学者ジョン・ホークス氏は言う。アフリカ系の人々もネアンデルタール人由来のDNAを持つ可能性があるのに、この方法で分析を行うと、それが見えなくなってしまうからだ。
そこでエイキー氏らは、大量のデータセットを使って、ゲノム中の特定の部位がネアンデルタール人から受け継がれている確率とそうでない確率を調べた。彼らは「千人ゲノムプロジェクト」の一環として集められた世界各地の2504人(東アジア人、ヨーロッパ人、南アジア人、アメリカ人、主に北部のアフリカ人)のゲノムを使い、自分たちの手法をテストした。続いて、このDNAをネアンデルタール人のゲノムと比較した。